スピード

 

とことんどんくさいわたしは

1時間先のことでさえ計画を立てるのが大の苦手で

その計画性のなさにより

無駄にガソリンを大消費してしまったり

本当は必要の無い場面でお金を消費させてしまったりする

 

道に迷いに迷って結局目的の場所にたどり着けなく

トボトボ帰宅することもしばしば(常に車酔い)

これ小学生のすることみたい

 

これらは一般的にいうと「損をした状態」らしく

色んなことがすごくすごく遠回りです。

 

周りの反応から、私って損しているかな?と

そう自身の心に確かめてもみるけれど

自分自身ではあんまり感じない

損得で行動していないってこと

 

「そうするしかなかった」

この鈍った脳みそが下した決断が

一般では「超もったいないよ〜」といわれるのですが

わたしは

自分がしたこの決断や、状態を、

思いきり楽しみ、満喫ができ、たまに悔やんでいることでさえ、

愛しいな、 と感じる

 

情けないな〜なんて感じる時もあるけれど、

それでも事実を受け入れられてることに安堵の気持ちが芽生える。

もっと賢い生き方があるのだろうけれど、

苦しみが生まれてるわけじゃない。

 

そんな自分と付き合いながらやわらかい生活が今年から続いていて

そんな日々に関わりをもつ人たちに

余計愛しさを感じたりしてる。

至福の涙があふれることしばしば

なんてのんびり生きているんだろう〜

 

 

 

そんなことを今朝おもった。

欲望の塊

 

普通にヨーガの会社で雇われて働いて

その給与でオーガニックの野菜を買ったり

大好きな旅に出て行ったらいい

そして居心地よいアパートでも古民家でも借りて

好きな人と暮らしたらいい  はず

 

なのになのにわたしは

“なにか”

をしようとしていて

それで沢山ビジュアライズしてみたり

それと今との少しのギャップに

 

少し詰まっているような

そんな今

 

理想の状態があって

それを現実にしようと精神でしすぎて

こんがらがってる?

 

それでも

「それ」の状態に近づこうとしているのは

この世に生まれた宿命で

きっと自分の中で譲れない何かがあるわけで

 

こんなこと書くと

”手放したら開け放たれるよ”

”うまく物事が運ぶよ”

なんて言われてしまいそうやけど

 

でも、大事に歩んでいきたい、信じていきたい

信念があるから

それとうまく向き合って前進できるように

自分の本音を大切にしていきたいです

その上で社会にいても

るんるん〜とスキップしたり、ゆっくり気持ちよく歩いてもOK

そんな状態が望ましい

 

ふと気がついたけど

wantばかりのわたし

一番の欲望の塊は

まぎれもなく自分自身だった

 

もう少しだけ

風通しよく。

わたしの風穴をひろげておこう。

 

日々変容する

環境や人に

愛を込めて。

 

気象変化とともに

 

一番ゴチャゴチャしてるのは

わたしのこの頭の中だ。

 

ゴチャゴチャしていて

さらに後にクヨクヨするむかーしからのクセが

再来してきちゃった

 

クヨクヨは

うまく言葉が伝えきれなくて

誤解されてしまっていそう

ものごとを勝手に先読みして

他人に翻弄されてる自分

とかとか

ウダウダ悩む

頭の中がごっちゃごちゃごちゃごちゃ

 

 

そんなののループ

気づけば涙が目に溜まっていて

ふとした瞬間

ぽろっと溢れる

 

 

ぽろぽろぽろぽろぽろ

してる

 

ちいさいころに

戻ったみたい

 

記録

 

今のお気に入りの写真。

 

 

 

写真ってすごいね!!!

踊っている瞬間も気持ちいいけれど

そのとき記録してくれた写真を

後に見るのも、とても好き。

レンズ越しにこんな風に自分は映ってるんだ〜

ってさらに楽しく、気持ちが良くなる。

 

今はこうやって瞬間瞬間を写してくれた写真たちを

どうやって整理して保管しておこうか考え中

だって、あまりにも素敵なんだもの!!

 

ステージ上の絶頂

 

どれくらいぶりに、照明を浴びただろう。

 

わたしの身体は少し緊張をしていて

この感覚、悪くない

わたしをわたしが試してる

楽しんでる

多分「緊張」と感じたのは

 

観客がいるからじゃない

ステージに立っているからじゃない

うまくやらなきゃという焦りからではない

理由なんてどうでもいいんだけど

多分そんな理由ではないような気がする

 

今からどんなに焦っても、

どんなにスキルあげて良く見せようと背伸びしても、

何かをどうしようとする心自体が

プレッシャーを生む

 

だから、ひとつ深呼吸をして

自分を信じる

これが

「自信」

それしか実はできない

 

わたしには自信がある

そのまんまのわたしを受け入れる自信

だから、何も怖くなくて

どういう現実がきても

それが結果だから

その結果があるだけで

それはどうにも変えられない

だから100%に生きるしかないんだ。

 

遠くに並んだお客さんの顔が

誰一人として知っている人がいないはずなのに

すごく懐かしく感じて

あっこの感じ

数年前とどこか似ている

 

演奏がはじまったその瞬間は

ステージ上に奏者がいるんだけど

わたし自身と勝負している感じで

感覚で対話してた

 

「もう少し深く呼吸して

落ち着いて

信じて

何にもせかされないで

 

魅せろ

魅せろ

魅せろ

 

わたしの等身大を

今生きてるのを

示せ」

 

そうやって

わたしがわたしへ伝えてた

 

低いステージの上でも

わたしは最高の絶頂にいた

 

絶頂は

スリルとリスクがあるけれど

眺めと体感は

この世の何もかもを超越するエネルギーで

快楽と生きてる心地を与えてくれる。

 

7月15日

また何かが始まった気がした

 

振り返ることなく進んでもう8月

 

です。

 

7月はパフォーマーとして、
ヨーガインストラクターとして、
アートモデルとして、
ダンサーとして、

息をした時間がたくさんあった。
生きてる実感がいっぱいあった。

 

その中でわたしというものは色んな表情をする。
きっとヨーガの時にでる笑顔と
パフォーマーの時にでる笑顔は
全然ちがうように思う。

 

悔しすぎて泣いたときもあった。
不甲斐なさで暗い表情にもなった。

 

ただでさえでかい目を
これでもかというくらい見開いて
わざと鬼神のような顔をしてみたときもあった。

 

さまざまなわたしの職業は
わたしというものを色んな形へと変容させ
より柔軟に素敵な可能性を引き出してくれる。

 

そんな風にさせてくれる周りにいるみんな、
いつもわたしを面白がってくれる人たち、
サポートしてくれる人たち、
新しく顔を合わし出会えた人たち、

そして、

感動を与えてくれた景色、
感動を感じさせてくれるわたしの身体、
感動の場面をクリエイトしてくれた人、

いつでも感謝している。

 

今月はどんな自分をクリエイトしていけるかな。

 

必要なことは必要なタイミングで

 

自分にとって必要なことが、
日々生活の中で目の前に現象として表れる。

たったひとつの些細なことでさえ、きっとそう。

その現象を創り出しているのは、
何者でもない自分自身。

 

岡山に越してから半年が経ち、
岡山での滞在時間以上にわたしは全国各地を放浪している。

ただ会いたいと思った人に会いに行って、
会いたい景色に会いに行く。

さらに素敵なことに、
行った先々ではわたしのできるヨーガを伝える場を作ってくれたり、
ゲストとしてすごく親切な待遇をしてくれたり、
本当に出会う人によくしてもらっている。

行く先で仕事ができるのは本当に有難いこと。

 

でも、岡山に住んでから、

どこかへいってしまう。旅立つ。

っていうスタンスが今までの人生を経て
自分の中で確立されてしまっていたが故に、
わたしは岡山での仕事を積極的につくっていかなかった。

ただ、ご縁というものもあるから
声をかけてくれたものに関しては、
誠意をもって仕事を引き受けさせてもらってた状態。

どこかで
継続、定期的
という言葉を避けていたみたい。

それはそのうちタンポポの綿毛のように
ふわ〜っとどこかに行ってしまうであろう
未来の自分を想像してたから。

 

それでも今年はじめ
「短期でもいいの。嬉しいよ。ぜひクラスをして欲しい!」
と言ってくれる人と出会い、

わたしは先月から、
ヨガスタジオのインストラクターを任されることになりました。

そこのオーナーさんやスタッフさんは、
ヨガスタジオオープンにあたって必要な準備物を伝えると、
その全てを用意してくれた!
(ヨガスタジオオープンとなったら色々と最低限でも必要な物が結構あるんです)

その他の告知や宣伝も隅々に至るまでしてくれた!

わたしの意見もしっかりときいて動いてくれてる。

なんてここちよよいのだろう。
この流れのいい感じ。

 

ヨガインストラクターとして岡山で活動を始めるのには
渋っていたり時間がかかっていたけれど

きっとこれが
わたしのスタートに相応しい最高のタイミング
だったのだと思う。

 

 

 

「待つこと」

 

投げかけたら、
願ったら、
ちゃんと現実に答えは顔を出してくれる。

ただ物質過多世界のこの世では、
問いや希望を投げかけても
それが現実になるまでに少し時間がかかるし
人によってその差はさまざま。

頭の中が情報や思考だらけになってしまうと
想いがシンプルに宇宙に届きづらいから
なるべくスッキリとした自分でいたいもの。

 

すぐに答えが出なくても、焦らないこと。

焦って、罪悪感とか不安感をだし
現実でない現実をつくり出さないこと。

 

「待つこと」

 

これが意外と大切なことだと思い出させてくれた。

それができたら
望んだものが後だしプレゼントでわたしたちの前に表れて
世界をhappyにクリエイトできるんだ!

新月前夜

ジャッジしない

感情をホールドしない

すべてよし

目指さない

過去と未来にエネルギーを使わない

いまここで爆発する

中毒症状のように

 

中毒症状のように、

わたしは今踊りをしたくてたまらない。

このカラダで表現をしたくって、たまらない。

自己満足で外に飛び出してただやる。のではなく、

誰かが側にいて、その人も表現をしている。

誰かというのは人に限ったことじゃない。

山だって同調してくれるし、川も呼吸する。

相互作用でどんどん広がっていく宇宙の輪っかみたいなのが

常に膨大していく感じ。

 

気が変わりやすい性質だから

この気持ちはこの気持ちで明日は分からない。

でも大切にしたい、大事な気持ち。

 

本音

 

わたし人のマネをするのが苦手。

カウントや音に合わせて同じ向きに手を出し、
ポーズをとり、振りをしっかりと緻密に揃えたりするの、
超苦手。

小さい頃したダンスと言えば全部そうやった。

そしてダンスというものは、
年を重ねるごとにクオリティを要される場面が増え、
さらに振りは緻密になり、
多人数でやるものにいたっては
同じ角度に身体を揃えたり、同じタイミングで動きをきめたり、
視点が厳しくなってくる。

それらを乗り越え覚えられれば、
後に楽しさ、やり甲斐、達成感で溢れるのだろうけど、

それになるまでの作業は、
わたしはあんまり好きじゃない。

だって「時間」を迫られるから。

「この時間までに覚えましょう」
があると、
急いで覚えなきゃと焦ってしまう。

さらにそれらを多数で行うとなると、
緊張感が増し、どうやらそうゆう空気が苦手のようだ。

 

 

一方で、ダンスはわたしを自由にしてくれた。

28才で本格的におどりに関わる環境に身を入れてみた。

いつもヨーガでゆるめていたわたしの身体が、
その時ばかりは日々「ダンサー」として
実践の吸収と排出を繰り返す。

でも、それを続けたら
生理が止まり、歯も抜けて、虫歯11本になり、
体重減少であばら骨は出てくるし、
すんごく可哀想な状態になった。

だけれど、
そこで舞踏にも出会ったし、
憧れだったコンテンポラリーダンスもすることができた。
ここで体感したすべての出来事は
今のわたしに確実に繋がっている。

 

 

ライバルとか、いない。

こうなれたらいいなぁ、も特にない。

なぜなら
踊ることはわたしにとって排出作業だから、

わたしのカラダから出たものを
変えることも、磨くことも、必要がない。

そのまんま。

あえて言うなら、
それ以前の問題だ。

自分がどうゆう気持ちで日々暮らしているかとか、
どんなことで感動しているかとか、

そんなことが、
排出作業のとき=踊り
全部でるのだと思ってる。

あっ
あとユーモアとロマンと孤独も大事。

 

こんな感じでしているわたしの動きや観念。

もしそれをおどりと呼んでもOKならば、

わたしは踊りが大好きで、
切っても離せない存在なのだと思う。

そしてわたしはとても快適で
わたしらしいと思えるわたしのダンスと出会えてすごく幸せ。

ダンスは、
「わたしはわたしでいい」
ってことを教えてくれた。

わたしはわたしでいたいから、
これからも踊りをしていくんだと思う。

 
誰かへのごめんなさいとか、

誰かへの祈りとか、

好きな人への告白とか、

悲しい想いの浄化とか、

なんだか分からないことを明確にすることとか、

届けたい想いとか、

心からありがとうっていう気持ちとか、

どうにもならないけどどうにかしたいこととか、

不条理に感じた出来事への気持ちの行き場とか、

 
そうゆうのが、ぜんぶまるごとわたしの踊りなんだと思います。