①で摂食障害の原因について探ってきましたが、それが29才になり、行為をする要因が変わっていることに気づきました。
私、約30年間「寂しい」という感情を抱いたことがないのです。(そう感じたとしても一瞬で忘れるくらいの消える程度のもの)
在る意味、両親や親戚、友人や恋人などに恵まれてきたと言えるでしょう。
ですが、25才で実家を出て一人暮らしを始めてから今年で5年目。
旅の途中で出逢った人との再会や、仕事などで県外へ行く機会が何度かありました。
新しい出会いに恵まれたり、かけがえのない時間を過ごした日々。
にぎやかで同世代の人とコミュニケートする楽しさを味わい、本当に幸せだな〜と感じる瞬間が多々あって、「時よとまれ!」って何度も心の中でそう願いました。
丁寧に物事をみつめていたくて、自分の意志で田舎に越してきて、基本一人行動をしているのが当たり前だったけれど、
離れた瞬間に、ものすごい「寂しい」という気持が私の身体の中にやってきました。生まれてこの方感じた覚えがない私がです。
それでなのか、原因ははっきりとはしませんが、その寂しさを埋める為のチューイングという行為に変わったような気がしています。
寂しくてどうしようもなくて、今にもどうにかなりそう!!!っていう激しい衝動は全くないのですが、なんで今もこうやってしてしまうんだろう、、、と考えた時に思い浮かんだのが、上記の事柄でした。(本当にどうかは分からないけどね)
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この「何かわからないもの」を、今まではすんなりと受け入れ流してこれたのですが、だんだんと「分からなくてもいい」から「知りたい」に変わってきました。
でも自分だけの判断では、どうしたらいいかなんて出せなかったので、
今まで何度か行こうと試みていた、心療内科にお世話になることになりました。
(これを後押ししてくれたのは、ヨガの生徒さん。本当に心強かったです。ありがとう。)
診療してもらったからって、何がどう変わったかといったら何も言えないのですが、きっと私は自分がどういう状況なのか誰かに教えて欲しかったんだと思います。名前をつけてほしかった。
通院期間中は、特に日常に変化はないし、期待することも失望することも何もありませんでした。
でも自分のことを今までの人生でじっくり探ったり、確かめるという行為をしてこなかった私にとって、相手から客観的にものを伝えてもらったりすることはいいキッカケになったように思います。
本当に直感で生きてきて、感情表現をしてきた私。
「自分と向き合う」って世に溢れる言葉だけれど、大人になった今、やっとそれをしている最中なんだと思います。
なにせ自分の好きなそんな思考回路すらなかったんです。
みんながガハハハと声をあわせて爆笑している事柄も、何がおもしろいのか分からなくて一人ポカーン。
ディズニー好きの女子たちの「何のキャラクターが好き?」の質問に、困惑しかできなかった。
人から攻められると、ただただ焦って、論理的に物事を考え整理することができなかった。
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だから、丁寧に、今の自分の気持とか、性質とか、そういうの向き合って、ちゃんと知ってあげる。これをする為に、今ここに居て、こういう幸せな経験をさせてもらっているんだな〜と、改めて思いました。
そうしてさらに、私は誰になるのではなく、私そのまんまでOK
そうすることで喜んでくれる人がいるということにも気づけました。
「摂食障害」なんて書くと、少し重たいようなイメージがあるかもしれないけれど、「ちょっと心のバランス崩して食が乱れちゃった人」って書いたら、ポップだし、たまたま私から出た行為がこれだっただけ。
摂食障害の要因は人それぞれだけど、しないにこしたことはないから(だってお金減るもん)、ゆっくりと向き合って、ひとつひとつの判断を大切に、時には流れに身を任せて歩んでいきたいと思います。
とはいえども、私はとーっても愛されていて、最高に超ハッピーーーーです♡
おーーーーーわり!