やっとやっと気づけた出会えた

 

やっとたどり着いた

気づけた

こんなに近くにあったのに、気づけなかった

自分で気づかないうちに、他の「好き」な何かで覆ってた

でも昨日、腹の底のもーっと下の方から、ちゃーんと出てきた

「わたしは《踊り》をしたかった」

それを選択してよかった

誰も否定も肯定もないはずなのに、

自分で本当の気持ちを見つけられないで、判断していた。

=なにかと比べていた ということ





今日は生まれて初めてクンダリーニ瞑想をした。

ものすごくアクティブな動きから静寂へと変化していく。

それは見た目の身体だけではなく、マインドへの影響をもたらした。

そこから沸き上がって生まれたこの気持ちに気づけた今日は

最高のハッピーバースデーだ。

 

大切にしていこう。

2017開催のお知らせ〈ヨガムドラ〉

 

先日、やーっとYOGAMUDRAの後援申請が一通り完了した。

ひとつはインドのモディ首相からの後援。(これは本部がやってくれました)

もうひとつは姫路市スポーツ推進課からいただいています。

市の公園を使用する場合、その催しに相応しい課からの後援が必要になってきます。

文化国際課、スポーツ振興課、観光振興課、の3つのうち、どれか1つからいただく必要があり、これは市役所の方にこちらで提出した企画書をみてどの課に後援をもらうのが相応しいのか判断してもらうのだけど、

ヨガをしているわたしたちにとっては、「文化国際課」が一番適しているのかな〜と思いきや、

結果「スポーツ推進課」から後援をいただくことに決まりました。

やっぱりそうなのか〜。

「ヨガ=スポーツ」が結びつきずらいから、少し違和感を感じながらも、後援拒否されることなく、無事にいただけて感謝です。

今回も、イベントに参加してもらえる方たちに、どんな捉え方であっても

「ヨガって気持いいな」

そう感じてもらえたらオールオッケー。

 

 

本番まで1ヶ月を切りました。

これを見ているみなさんも、よかったらぜひ来てください💓

 

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《YOGAMUDRA姫路》
2017年6月18日(日)
@東御屋敷公園(姫路城東側)

◯タイムテーブル◯
13:00〜14:15 ゆるーりゆるゆるヨガ(おしだゆき)
15:00〜16:00 心の声で唄おうキールタン
(誘導:ななえ 踊り子:おしだゆき)
16:30〜17:00 ありがとう瞑想

◯出店◯
naco(手作り草木染め衣類)

◯対象◯
子ども、サラリーマン、フリーランス、フリーター、学生、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん

◯申込◯
http://yogamudra.jp/event621/himeji からお申込みくださいませ。
後イベントページの参加ボタンをクリック。
※予約制となっております。

瞑想の本質

 

今夜はマントラとサンスクリット語の授業を受けにYOGA FARMへ。

サンスクリット語の子音の読み書きの練習の中で「japah(ジャパ)」という単語が出てきてみんなでジャパ瞑想をした。

ジャパ瞑想とは、繰り返しマントラを唱えて行う瞑想法です。

そこで発生する音のエネルギーがじんわりと空間に広がっていって、意識と溶け合う感覚が最高に至福な気持にさせてくれる。

Om ganesha ya namah:

というマントラをRadhika先生が教えてくれた。

その関連で、瞑想について

瞑想ー3つの行い方

①カーイカ・カルマ(声・動作)
⇒祈りの儀式(プージャ)

②ヴァーチカ・カルマ(声)
⇒マントラを声に出して唱える

③マーナサ・カルマ(考え)
⇒考えの中でマントラ・プージャ

 

全然知らなかった。

たまに生徒さんから「瞑想って難しそう」って言われると、

「難しいことはないですよ。瞳を閉じて、ふかーく呼吸を繰り返していればOK」

なんて言っていたけれど、もっと奥が深かった。

「上記のことを本当は知ってもらいたいと思ってる」とRadhika先生に言ったら、

「現代の人の多くは顕在意識下で「痩せたい」とか「したい」というモークシャ(目的)があってヨガスタジオへ通う人が多いから、そのそれぞれのモークシャを満たしてあげて、そこから興味があればこちらの方をお伝えしてあげる。それでいいんじゃないかな。」

そうかそうか。

私が今まで今おこなっているものを対象として無理に
そんな現状に、

自分がやるべきことだけに固着しないで、現状と今関わっていることもってもれば絶妙なタイミングでご縁があってのものだと思う。

なんだかんだで最近のモヤモヤは、あっとゆう間に解決された。

 

豊かな朝

 

今朝起きて洗濯機をまわしていたら、ヨガ教室に通ってくれている近所のおばさんから電話がきた。

今からすぐおいでというものだから、パジャマのまま飛び出して裸足でおばちゃんのお家へ向かった。

帽子とハサミ、袋などを用意してきてくれて、お家の農園のイチゴ摘みをさせてくれた。

「このイチゴ全部取ってほしいのよ」

と言って、ほぼ全て取り終え、容器にいれてわたしにくれた。

それが終わったら、農園で育てているものを案内してくれた。

特に売りに出しているわけでもなく、自家菜園でやっているというけれど、本当に色々な野菜を無農薬無肥料で、こだわって作っている。
   

 

おばちゃんは、いつもわたしのポストにスナップえんどうをいれてくれたり、時には炊いたたけのこや煮物を入れてくれる。

この地域に住む人たちは、本当にみんながあったかい。

聞いてみれば、おばちゃんはわたしと血液型、利き手、出身地(市まで!)まで同じときいてビックリ。

こんな田舎で、こんな共通点のある人に出会うだろうか。

 

ご縁とは、本当はすぐここにも、そこらへんにも、うようよ〜と漂っていて、

同じ波動のものが共鳴して、姿形で互いを認識できたときに、それを「偶然」とか「奇跡」って私たち人間はよんでいるのかもしれない。

兎にも角にも、今朝の豊かな出来事。

 

 

++わたしができること

++わたしができること

●ヨーガ 
ヨガで学んだアーサナや呼吸法などをお伝えすることができます。
心を静める呼吸、スッキリと爽やかな気持ちになれる呼吸など、
それぞれのからだに合わせて、レッスン内容を組み立てていきます。
また、マントラ(インドの神々に讃える賛歌)をとなえて、
カラダとココロをクリアにしていくお手伝いをしていきます。
ヨガレッスン以外でも、チャクラ手当というものも行います。
わたしと過ごすヨガの時間が、
みなさまの過ごす日常の中で+αのエッセンスになるよう、
心をこめてレッスンを創っていきます。

●オドリ
コンテンポラリーダンスをします。
わたしのダンスは、一見”ダンス”には見えないかもしれませんが、
その瞬間の空気を全身で感じて、肉体の赴くままに表現していきます。
カラダは芸術。
自然や音、空間や人と共鳴して、
わたしの感性とみなさんの感性が重なり、
感動の瞬間を生み出し祝福の気持ちでいっぱいになりますように。

++
わたしは、自分のままでいることが得意です。
うそいつわりなく、まっしろな状態。
ありのままである自分を誰よりも自分が尊重し、
そんなわたしを面白がって、楽しんでくれる人とともに、
何かをクリエイトすることに大きな歓びを感じます。
ぜひ一緒に””HAPPY””を創っていきましょう!
おしだゆきより

 

 

ワクワクすると、お腹空かない。

 

なんでだろう。

 

今もうれつにワクワクしている。

断食しようとしているわけでもないのに、もうすぐ最後に食べてから24時間経とうとしてる。

 

やっと〈ヨガムドラ〉

 

やっと腰が動きました。

3年前、インドのナレンドラ・モディ首相が、6/21を国際ヨガの日と制定してくれました。

http://aun-yoga.com/yogaday_modi/

わたしはちょうどヨガスクールOYGに務めていたので、わたしたちもこの日を盛大に盛り上げよう!ということで「YOGA MUDRA」という世界規模のイベントを企画しました。

それから3年目の今年。

色々な自身の思いや性質から、私が毎年担当させてもらっている姫路は小規模で開催することを決め、準備が進んでいます。

といっても、去年に比べ出店者の数は20分の1となり、ヨガ講師もわたし一人。

ワークショップなどもないので、準備といっても、フェイスブックページを作成したり、参加申込の応対など、やることは限られています。あとは心を整えるくらいかな。

これらはわたしが出した、ヨガとの向き合い方。一番最適なスタンスだと思っています。

 

一番このイベントの主旨を理解し実践できる状態

来場者をわたし自身の目でみて、大切にできる状態

 

もちろんより多くの方にヨガの素晴らしさを味わってもらえることや、世界で起きている問題に目を向けてもらうことは、「知る」とう大きな学びや喜びの共有になるし、わたし自身も幸せな気持になる。

だけれど、それを実践するときに、まずはわたし自身がヨガを楽しんで、参加者と目を見て、笑顔で心を交わすこと。伝えようとすること。

そういう瞬間の積み重ねがとても大切だと思ったのです。

受け取り方は人それぞれだけど、そんな風にして今回のヨガムドラを開催したいと思っています。

 

すごく気持ちよく開催ができそう。

もうすぐ情報公開されますので、ぜひ楽しみに待っていてくださいね^^


★2015年yogamudraの一コマ

いつでもどこかに

 

いつでもどこかに飛び立ちたいと思っている。

そこに何の不安も恐れもない。

だってどこにいたって、この世界はひとつだから。

海も風も山も大地も全部繋がっているから。

ただ、平穏に暮らす時間の中で、タイミングを潜在的に見計らっているみたい。

それは、「仕事を辞めるから」とか「結婚を期に」とか

そういった物理的な理由じゃなくって、もっと風に飲まれるような、ふわ〜っと虹色の風に身体ごと自然に便乗してしまうような感じ。

求めることは悪いことじゃない。

 

世界は完璧だ。

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摂食障害について②

 

①で摂食障害の原因について探ってきましたが、それが29才になり、行為をする要因が変わっていることに気づきました。

私、約30年間「寂しい」という感情を抱いたことがないのです。(そう感じたとしても一瞬で忘れるくらいの消える程度のもの)

在る意味、両親や親戚、友人や恋人などに恵まれてきたと言えるでしょう。

ですが、25才で実家を出て一人暮らしを始めてから今年で5年目。

旅の途中で出逢った人との再会や、仕事などで県外へ行く機会が何度かありました。

新しい出会いに恵まれたり、かけがえのない時間を過ごした日々。

にぎやかで同世代の人とコミュニケートする楽しさを味わい、本当に幸せだな〜と感じる瞬間が多々あって、「時よとまれ!」って何度も心の中でそう願いました。

丁寧に物事をみつめていたくて、自分の意志で田舎に越してきて、基本一人行動をしているのが当たり前だったけれど、

離れた瞬間に、ものすごい「寂しい」という気持が私の身体の中にやってきました。生まれてこの方感じた覚えがない私がです。

それでなのか、原因ははっきりとはしませんが、その寂しさを埋める為のチューイングという行為に変わったような気がしています。

寂しくてどうしようもなくて、今にもどうにかなりそう!!!っていう激しい衝動は全くないのですが、なんで今もこうやってしてしまうんだろう、、、と考えた時に思い浮かんだのが、上記の事柄でした。(本当にどうかは分からないけどね)

この「何かわからないもの」を、今まではすんなりと受け入れ流してこれたのですが、だんだんと「分からなくてもいい」から「知りたい」に変わってきました。

でも自分だけの判断では、どうしたらいいかなんて出せなかったので、

今まで何度か行こうと試みていた、心療内科にお世話になることになりました。
(これを後押ししてくれたのは、ヨガの生徒さん。本当に心強かったです。ありがとう。)

診療してもらったからって、何がどう変わったかといったら何も言えないのですが、きっと私は自分がどういう状況なのか誰かに教えて欲しかったんだと思います。名前をつけてほしかった。

通院期間中は、特に日常に変化はないし、期待することも失望することも何もありませんでした。

でも自分のことを今までの人生でじっくり探ったり、確かめるという行為をしてこなかった私にとって、相手から客観的にものを伝えてもらったりすることはいいキッカケになったように思います。

本当に直感で生きてきて、感情表現をしてきた私。

「自分と向き合う」って世に溢れる言葉だけれど、大人になった今、やっとそれをしている最中なんだと思います。

なにせ自分の好きなそんな思考回路すらなかったんです。

みんながガハハハと声をあわせて爆笑している事柄も、何がおもしろいのか分からなくて一人ポカーン。

ディズニー好きの女子たちの「何のキャラクターが好き?」の質問に、困惑しかできなかった。

人から攻められると、ただただ焦って、論理的に物事を考え整理することができなかった。

だから、丁寧に、今の自分の気持とか、性質とか、そういうの向き合って、ちゃんと知ってあげる。これをする為に、今ここに居て、こういう幸せな経験をさせてもらっているんだな〜と、改めて思いました。

そうしてさらに、私は誰になるのではなく、私そのまんまでOK

そうすることで喜んでくれる人がいるということにも気づけました。

「摂食障害」なんて書くと、少し重たいようなイメージがあるかもしれないけれど、「ちょっと心のバランス崩して食が乱れちゃった人」って書いたら、ポップだし、たまたま私から出た行為がこれだっただけ。

摂食障害の要因は人それぞれだけど、しないにこしたことはないから(だってお金減るもん)、ゆっくりと向き合って、ひとつひとつの判断を大切に、時には流れに身を任せて歩んでいきたいと思います。

とはいえども、私はとーっても愛されていて、最高に超ハッピーーーーです♡

 

おーーーーーわり!

 

 

摂食障害について①

 

ここ数年摂食障害を抱えている。

私の場合は、過食拒食ではなく”チューイング”。口の中に物を含ませて、噛んでは吐き出すの繰り返し。

ヒドい時には夜中おさまることを知らず、コンビニで業務用のアイスを買って家に持ち帰りチューイング。

アイスが無くなると、自転車でまた別のコンビニを探して食パンを買っては持ち帰りチューイングを繰り返す。そしてまた自転車で別のコンビニへ・・・

止めたいのに止められなくて、泣きながらそんな行為を繰り返してました。

初期は、仕事のストレスからか、週1回車の中で一度行う程度でした。

だから、そこまで深刻に捉えていなかったのですが、数年後にはほぼ毎日行うようになり、歯止めが利かなくなり、人と一緒にいても、相手の目をうかがいながら、見られない様にして袋に吐き出すようにまでなってしまいました。

あぶないあぶない・・・と思いながらも、気づかれているかもという不安より、それをしないとなんだか気持が治まらなくて、クセのようになってしまっていたのです。

そんな自分を自分が責めていては、心もボロボロになってしまうと感じ、その行為をしてしまうことを自分の中では「あ〜あ、やっちゃった」と、客観的に捉え、否定しないことにしていました。

でもそんなことをしていると、もちろんお金もドンっと減っていくし、口に入れた物は口腔内の粘膜を通り、胃に吸収はされているので、体型も変なやせ形になり、歯もボロボロ、心までスカスカになっていたように思います。

こんなことになってしまった原因はなんだったのかな〜と探ってみると、その一つに当時していた仕事のストレスがあったように思います。

26才でその仕事に就くまで、一度も社会人になったことはありませんでした。(アルバイトはいろーんなものをしてました)

だから社会で身に付けた「標準」「一般的」といった基盤となるものが自分の中にはなかったのです。

その為、どんな指示を与えられたとしても、自分にとって頼りにするキャリアなんて一切なく、言われた通りにすることすらままらなくて(右脳しか作用しない人の特徴かも・・・)「効率的」「応用力」という言葉とはほど遠い人材でした。

(今思えば、私に声をかけてくれた会社の社長さんは、本当に器の広いすばらしい人だなぁと思います。)

困惑して追われまくっている自分にすら気づかず、「出来ません」「無理です」「手伝ってください」という言葉すら頭になかった当時。

時には仕事が終わらず夜中0時を過ぎ帰宅して、どうしようもなく、川辺で一人号泣、なんてこともありました。

そんな不慣れから、自然とその自分では”どうしようもない状況”が、食べること、そして食べて重たく動かなくなった身体をベッドで寝かせることで、気持をOFFにしていたのでしょう。

それからみるみるうちに私は太っていきました。

ということもあり、そんな当時の苦しい状態は自分の中でコンプレックスとなっていたのか、それからチューイングを自然と覚え、一定期間はしなくなったものの、何かあれば行為を繰り返していたと思います。