We love you

『私は育てられてきた、私たちはみな、それぞれの兄弟姉妹だと考えろと。

人種や、信条や、肌の色に関わらず。

ウィー・アー・オール・ムスリム。

私たちはみんなイスラム教徒だ。

私たちがみんなメキシコ人で、カトリックでユダヤ人で白人で黒人で、

あるいはその間のいろんな色なのと同じように。

私たちはみんな神(あるいは自然、または何でもあなたの信じるもの)の子で、

人類の家族の1人である。』

今年インドネシアに滞在していて多くのムスリム教徒と出会った。
その中で与えてもらったものは数多く、人を疑えない私が疑いをもってしまうほど親切心と寛大さで溢れていた。それは今も継続している。
色んなことに対して(食事、送迎、その他気遣い)受け止めきれない程惜しみなく愛を与えてくれた彼らに、
『なぜあなたたちはそんなに親切にしてくれるの?私はとても感動している。』
と尋ねたら、
『ゆき、私たちは皆仲間だ。そしてその前は兄弟だった。私たちは家族だよ。』
当時滞在していた村の界隈でアートディレクターしていたトムがそう答えた。
会って数十分おしゃべりしただけやったけど、彼は私にそう告げた。
彼は翌日に私の夢を叶えてくれたのだが(村中の壁に広がるグラフィティの管理をしていて、私にそのスペースを提供してくれた。脚立やその他備品も村のホームステイに借りにいってくれたり、前に描いた人の古くなったグラフィティを消すのを手伝ってくれたり、暑さに困らないように気遣ってくれたり、それはもう本当に親切にしてもらいました。)
この懐深い優しさは、宗教信仰の要素が強いからなのか、彼のパーソナルな部分でそのような対応をしてくれているのか最初はどっちなんだろうって気になっていたけど、
旅して数カ月経った今は、もうそんなことどうでもよくって。
私はただ、彼の伝えてくれた
『ゆき、私たちは皆仲間だ。そしてその前は兄弟だった。私たちは家族だよ。』
この言葉に感動して、深く彼らを尊敬した。
もうその事実だけでじゅうぶんじゃないか。と感じてる。

今のわたしには、日本に心おける、あったかい場所がある。

血が繋がっていないけれど、家族だ。

今わたしは、その家族とひとつ屋根の下に住んでる。

一緒にごはんを食べて、家事をして、笑い合ってる。

悩みは相談して、それぞれが好きな物づくりをして、生きてる。

今日は辛いことがあって、それはもうグシャグシャになってってゆうそんな状態だったんだけれど、その出来事をわたしのヘタクソな言葉で伝えたら
「We love you」
って返ってきたそのメールで、もう全ては完璧で大安心の中にいることに気づけた。

それだけで十分だった。

もうじゅんぶん。

 

過ごした時間の長さじゃない。

やっぱり深さだと思ってる。

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