ぜーんぶ受け取るのだ。

 

自分の身の回りに起こるさまざまなこと、

それは全て今の自分に置いて必要なこと、心の状態、

それらが反映されているのでしょう。

 

時に、

なんじゃこりゃーーー?!?とか、

嫌嫌嫌〜!!!!(って思ってるのなぜ私笑ってるの〜?!)とか、

自分の反射的反応に困惑することもあるかもしれません。

 

ですが起こった現実を

「現実はこうなるべくしてなったんだわ。カルマねきっと。だから受け入れる。受容、受容、よし。」

なんて無理にLET’S肯定フレーム(と呼んでみました)におさめる必要は緻密もありません。

 

思いきり、

ギャー!なんで〜!!もう〜ゔゔゔゔゔ〜〜〜〜

と、とことん感じきってしまって、
(そのとき、汚い、良くない、私らしくない、って感情がドバーって出てくるかもね!)

その最中でも、その後でも、

「そうなっている自分がいる」とゆうことを

「ほうほう〜ふむふむ〜」と地球を宇宙から双眼鏡でのぞくような感じで見つめて、

そ・ん・な自分自身を受け入れてあげてね♡

(↑わたしはこれらを感情を感じると同時にしている。ゔゔ〜ぎゃ〜ってなってる自分がいるのを斜め上の彼方から肉体じゃないわたしが見つめて、「ふぅ〜ん」ってしてる)

 

自分が↑それ↑をできなかったらとても辛くて苦しいよ。

だって、私が一番の理解者で近しい存在で心で肉体だから。

 

もし出来事に対して反射的に出てきた感情やコトバ等に
一度歯止めをかけてしまったら、
それか後にしようって止めてしまったら、
そのとき出ようとした新鮮な思いはどうなるの?

思いは綺麗なものばかりじゃないよ。

相応するように、
醜いと自身が判別するものもあれば、
とりとめのない執念のようなものだったり、
ベトベト&ドロドロなものもきっとあるよね。
人それぞれ。本当にそれぞれ。

 

感情にカギをかけて、
見捨てて歩き続けてしまったら、
迷子になって日が暮れて少し風邪もでてきてぶるぶる震えて寂しくなって行く宛もなくなって電柱の柱に体育座りでうずくまってシクシクしている幼少の子みたいやもん。

そんな子をみかけて、近づいて、目をみて、話をきいて、心の歩み寄りを感じて、「頼るのはあなたしかない」ってゆう悲しそうな瞳でみつめられて、ぎゅって手を握ってお母さんを一緒に探すか何かするでしょう。(おせっかいなわたしはしてしまう)

そんなように、多分あなたと(BODY)女の子(SOUL)

手を取りあって、歩いていけたらいいね。

 

そうしたら外側が冷たくっても、握った手と胸の中は本当にポカポカであったかいと思う。
happyというおまけ付きで。

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