ファッション雑誌を見ていて
3万円とかそれ以上の金額の洋服たちが載っていると
「高い・・・・買えない・・・・でもとってもカワイイ」
が頭の中に広がっているのが通常だった。
けど
自分の丹精込めて描き上げた絵を販売するとなった時
わたしは
「5千円・・・・。いや、1万かな。
ちがう。無理無理。こんな時間をかけて気持ちを込めて描いたものをそんな値段で売れない・・・」
「じゃあ、ざくっと上げて3万?!いーや。それでもこのわたしにとっての傑作を3万だなんて!じゃあ、無限大(∞)とゆうことで88888円にしようかな?! 」
結局
「売ることができない」
がわたしの初めて自分の作品に値段をつけることになった時の答えだった。(今は違うよ)
そう思うと
今までファッション雑誌を見ていて(10代の頃から装苑が好きでした)
高くて手が出ない・・・
と金額だけ目にして判断していた時期があったけれど、
その作品を作り上げるまでに至ったデザインや細やかに思考されたディテール、
そして完成されるまでに縫ったりミシンかけたり補整したりetc
(わたしは専門家じゃないから他にもいっろーーーんな行程があるのだと思います)
そんなこんなな作業内容や時間や信念を持ち洋服を作っていることを考えると
わたしが一概に「高い」と思っていたその洋服たちは
本当は相応な値段だなって思う。
「販売する」とゆうことは
いずれ自分の身から離れていくとゆうこと
誰かの手に渡り、その人とともに生活していくことになる。
なんでも好きなものであれば、愛着が沸いてくる。
それが我が身から離れていくのは寂しいこと。
自分が想いをこめて作ったものは、言って見れば我が子同然。
じゃあ離れていく事にそ抵抗があったり嫌だと思うなら、
手元から話す必要なんてないし、ずっと側に置いていけばいい。
「お金に変換する必要があるのか?!」
究極それに行き着いてしまう。。。
これは作家さんや芸術家?さんで本気で大好きを仕事にしている人だったら頭によぎった事があるかもしれないね。
純粋の純粋に
「多くの人に手に取って現物を感じてもらいたい」があるのなら、
販売なんかせずにあげればいい。
だけど生活をしていく為にお金が必要な場面があって
だから自分の作品をお金と引き換えにする。
そうしてそれを好きな人が手に取り、わたしもお金をもらって、生活が安定したりする。
だからお金をとっていいんだ。
自分の中でOKがでていたらね。
それを自分が生み出した作品のお金に換算した場合の価値にしていいんだ。
それでいいんだ。
わたしもしたいことが色々とあって、
それは自給自足の生活では補えない事で
お金とゆうものが必要になるから
わたしの無我夢中になれることや好きと思えることの継続が
いい経済状態を生み
それが未来への肥やしの一部となり
豊かになっていく心とともに制作を続けていきたい。
その方がHAPPYだからね。
たまに浪費家だったり(ないのに!笑)、お金に無頓着になってしまうこともあり注意されるけれど
今回は
「値段を決める」=「私の価値をつける」
ことのわたしにとってのお金に対しての訓練だったと思う。
もうすぐわたしの子どもたちが出来上がってくる。
続々と。
またこちらやSNSでご報告させていただきます☆