無我宇宙的記録∞1

二足歩行のわたしたち人間やけど

その当たり前でしていること以外をしてみる。

すると不思議な世界と感覚を体感する。

今まで生きてきた環境で形成されてきた「わたし」を構成する概念

それをひとつずつ取り外していく作業は

普通なら脳みそを使うのが主になるけれど

今回ばかりは「身体優先」で

素直に感じたものを表現していければと思う。

 

空間や環境に支配される身体

音や人に影響を受ける身体

 

痛みを通り越した先の快楽

 

 

これから2人で身体を探っていく。

 

はじまりの場所がここでよかった。

 

そしてまさか岡山で踊りをすることになるなんて!

 

 

これからどうぞよろしくお願いします。

今年最後の夢叶う

 

3年くらい前からひっそりと夜な夜な絵を描いていた。

当時大好きだった人に見てもらいたくて

ただただひたすらに描いていた絵。

見てもらいたいとゆうよりは

「上手だね。すごいね。」

って褒められたかったんだと思う。

作品はもちろん、

わたしのこと、見てもらいたかったんだと思う!

 

どこに習いにいったわけでもなく

誰かに教わった訳でもない

一人で地道に練習を続けてたわけでもないし

 

 

でも、真っ白の紙に線をひいたり、模様を描いたりしていって

少しぼかしてみたり、筆圧濃く描いてみたり

それがなんとなーく「絵」になってるのが嬉しくて

のめり込んでひとつの絵を描いてた

 

早く彼に見てもらいたいもんだから、

はじめは
「新月に描き始めて満月に描き終える」

とゆう目標をかかげてがんばって手を動かしてた(もちろん途中で終了。笑)

 

 

あ〜・・・

ながーーーーい間、わたしいっぱいのコンプレックス(とゆうか弱気な心?!)を抱えていたね。

コンプレックスとゆうより言い訳だね。

本当はしたいのに、今できていない現実に対しての言い訳。

 

上で書いた

どこに習いにいったわけでもなく

誰かに教わった訳でもない

一人で地道に練習を続けてたわけでもない

 

「絵を上手に描いてみたい」は私の純粋な願望だったのに

そのピュアな輝きに満ちた想いを打ち消す心の真実逃避の3点セット。

 

 

何がキッカケかは忘れてしまったけれど

自分の本当の気持ちに気づくだけじゃなくって、

それを見つめて認めてあげること

そして

「できるよ。やってみなよ。」って

まるで親友のように、自分自身に声をかけてあげること。

わたしはそれができるようになった。

そうしたら、

周りにいる人が、わたしの描いたものに着目してくれて

気に入ってくれたり、どこが好きか伝えてくれたり、(携帯のトップ画像にしてくれてたときはひそかに歓びいっぱいでした。。)

わたしはわたしが生み出したものに自信が持てるようになりました。

自分を信じる。
自分を信じてみる。
自分を信じきる。
自分を信じちゃう。

本当に大切なことかもしれない。

 

 

自分の中だけで完結していた「絵を描く」とゆう行為は

いつのまにか

「興味をもってくれるより多くの人に届けてみたい」

とゆう新しい希望を生み出しました。

 

希望は光です。

光のようにただアカるくやさしいです。

 

 

今回ネットショップを開設してみて

そこからの購入通知が最高に嬉しい!

そして発送作業。

これをしている時も本当に幸せ。

極上のしあわせを今、今、今!噛み締めています。

まだ数人の方からの購入ですが

購入通知が来る度にひとりでキャピキャピしちゃう。

 

本当にありがとう。

 

 

シェアとかも嬉しいけれど

購入してほしい

な。

ってゆうのが本音の音!


https://oshidayuki.thebase.in/

 

わたしのコドモのような存在の作品たちを

どうぞよろしくお願いします。

右や左について

 

身体の右半身に起こる現象と、左半身に起こる現象

今までいろーんな違いがあった

 

最近気づいたことは

右から流れる涙は至福の涙。

左から流れる涙は痛みや辛さの涙。

 

瞑想中にこの上ない幸福感であふれるとき

ツターと涙が右目から流れて頬を伝う。

電車やバス等の乗り物酔いで苦しんでいる最中は

左目から涙がこぼれ落ちる。

 

不思議。

 

 

なにか意味があるのだろうか。

生物学的な観点からの見解があるなら面白いな〜

しかも自分が感じていることも対局な状態だからなおさら

 

涙が頬を伝っていく感覚って

ほんとうに繊細で細くてやさしい。

 

内に入ったり外に出したり。

 

いろんなところで私たちの身体はバランスを取っている。

 

グラグラでフラフラでもいいけれど

ちょうどの真ん中。

中庸がとれたときって

一瞬で目の前にひろーーーーい湖が広がっていくような

思考や感覚が消えて

自分の重力もきえて

すべてが平等になっていて調和なんだと思う

 

 

 

右左

上下

前後

 

真ん中にもどろうとする行為は

意識しなくても自然にしているみたい

人間とゆうものにあっぱれ。

スプタバッタコーナアーサナがしたかった

 

「スプタバッタコーナアーサナがしたい」

って感じる瞬間がここ2週間で何度もあった。

 

ボルスターを使用してもいいし、

ブロックを2つ使ったのでもいいから

胸の真ん中が、ぐーんっと空のほうに突き上がるように

縮まった(ような感覚になってる)胸回りを

やわらかーく伸ばして解放させたかった。

 

自分への時間は自分でしかとらすことはできない

時間をつくるということは

本当に大切なこと

 

 

ダウンドッグでもシャバアーサナでもなく

重力にこの身全てをあずけて

さらに下の方へと身が沈んでゆく感覚。

 

力みを感じる

顔のこわばりを感じる

首回りのつまりを感じる

 

呼吸をして

それらをほどいてあげる作業

 

自由に解放された身体をちゃんと感じたかった

自分の中心に戻りたかった

 

 

ほんのささいな心の意識が

自分自身へ親切にしてあげる

話を聞いてあげる

その行為は、感じたことを受け流さずに

拾い上げて見つめてあげること

 

このちょっとが

本当にたいせつなこと

ポストカード「はじまる」販売開始

 

12月18日、ネットショップBASEにておしだゆき処女作品集「はじまる」のポストカード販売が開始いたしました。

下記サイトよりご購入ができます。

https://oshidayuki.thebase.in/items/15755391

どうぞよろしくお願いします。

 

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日々の想いが、線になり、模様になり、「はじまる」になりました。

今まで出逢ってきた全ての皆様と大いなる自然に心からの感謝を込めて。

よろしければぜひお手元で楽しんでもらえたらと思います。

 

ゆき

 

きらい

 

男性の腰パン姿がイヤ

 

深夜0時以降の拘束がイヤ

 

攻撃的な態度をとる人がイヤ

 

朝食を食べろと強制されることがイヤ

 

肉を食べろと強要されることがイヤ

 

監視していないかのような態度でいて
実は監視されている状況がイヤ

 

 

 

苦手なものはあるけれど、
嫌いなものに焦点をあてたことが少なかったせいか
すごく考えないとでてこなかった

「きらい」とゆう言葉よりも
「好ましくない」の方が適切な感じ。

同じ意味のようで微妙なちがいだよ。

 

受賞

 

今年9月にウォーキングの指導を依頼され

ポーズや歩き方などなどなど(ほぼわたしオリジナル)を

レッスンした時がありました。

 

数カ月後、連絡があり

その生徒さんがベストドレッサー賞を受賞とのこと!

わたしの指導が効いたというよりも

衣装を選んだ姉の腕がよかったのではないか・・・・?!

と誰もが感じると思います。

 

それでも、とーっても嬉しい出来事。

 

 

賞をとれるって

審査員の印象に残ったということは確かだから

すごく自信になるね。

 

自信っていいね。

下向き加減で、一歩一歩を小さく歩いていた2人が

「やる」という意志を持ってステージにあがる。

動機はどうであれ

”コンテストに出た” ”賞をいただいた”

という現実ができる

体験は宝だ。

 

それに携われたことを誇りに思います^^

よき経験をありがとう。

 

にしても可愛いなぁ。

カラダカンカク

 

空っぽはしあわせ

空っぽになると創造力がわきあがる

空っぽはここちよい

 

 

わたしがそれを感じるときは

ヨーガをしたあとと

身体を掌握したような気分になったとき

 

 

すかっとわたしを包む色が透明になっていく

景色や吸い込む空気でさえ

きらめいて新鮮なものになる

だからあきなく続けてしまう

 

自由におどることと、

ヨーガをすること。