海は大地、あなたは母の腹の中

 

 

海や森の中にいるとき
ただただ気持ちよくて
体が水や土に溶けていく感覚
自分と認識していた肉体の輪郭が
細く、うすく、なくなって
周りにある空間と呼吸しているような
そんな感覚をあじわう
わたしは、
わたしが、
これはわたしのもの、
これはあなたのもの、
ここまでが自分のもので、
それは善いことだ、
こうするのは良くない、
とかとか、
もうそんな線引きすらどうでもよくって
完全なる安心感に包まれてる状態

これは
お母さんのお腹にいたとき

 

に非常によく似ている。
そんな人間のわたしが
30年生きてる今でも思い出すときがある
胎盤の中で眠っていたときの
わたしが、あなたが、
なんて認識がなかったときの

 

絶対的な安心感

 

そんな何十年も昔のこと?
思い出せるわけがない?

 

たったひとつの深い呼吸の連続で

それはそれは温かい

まるで胎盤に包まれていた時のような

優しさ溢れた感覚を思い出せるよ

創ろうとする必要なんてなくて

自然と憶い出してくよ

 

神秘溢れる自然の中にいることで

必然的に覚醒する意識たち

体中から滲み出るヨロコビの粒子たちを

とことん溢れ出して

世界へ愛を繋いでいこう。

 
たったひとつの深い呼吸の連続で、

 

ふとその感覚を思い出したら
還る道を歩んでる合図
後戻りしてるとゆうわけではないよ
ただ思い出して
ホッ とするだけ。

 

母の腹はすごいなー
宇宙だなー
わたしたちも
そんな宇宙の中だよ。

多くの選択肢の中で

 

普段は意識してないけれど

知らない町を歩いていたり

初めて出逢う景色を見ながらぼーっとしたり

初めて会う土地で

初めて会う人たちの暮らしに触れたり

色々していると

ものすごーーーい

人と情報と生活スタイルと生きている環境とがあるこの世の中で

それぞれの選択をしているのは

何の紛れもなく「じぶん」なんだよなあ〜・・

と感じる。

 

まじまじと実感することは

普段の生活をルーティンで過ごす状況だとなかなか少ないかもしれないけれど

情報がおおすぎて、

人も多すぎて、

食べ物も多すぎて、

 

思えば豊か

思えば貧しさ

の中で普通に暮らしていると

気づかぬこともいっぱいだけど

 

「選択」は

いつでもどこでもこの瞬間にもしている

最短身近な行為なのだと感じる

 

 

意識しないで偶然か必然かでその土地で生まれて

当たり前に生活を続けて

当たり前のように様々な人と出会って

自然と今の流れに身を置いている人なんて

数多くいると思うけれど

 

当たり前にしている選択の連続の連続で

「今」があるのなら

その中で出逢う人たちは

本当に「かけがえがない大切なもの」

っていう最強のネームバリューが付いちゃう。

 

 

縁って深い。

最近自分が住んでるアパートの裏側を散歩したら

今まで知らなかった

自分の大好きな田舎くさ〜いローカルな風景が広がっていて

 

私の知らないことなんて何万も何億も

数にならないほど沢山あって

 

それでもそこでの生活がただただあって

知らずに今の環境で生きているそれぞれがいる

何と比較することなく今の環境を選んでいる自分もいる。

 

死ぬまでに見ない景色なんて

本当に何十万何百万何億と

数とかいう概念を超えていっぱいあるんだろうけれど

 

その中で

今をここで生きていることを選択している自分がいる

 

そう思うと

今まで出逢ってきた誰かは

今まで出逢ってきた心の感動は

今でも深く繋がっているあの人とは

今まで愛し合った人たちは

何が何でどうであろうと

 

本当に深い縁で繋がりをもった人たちなのだろうと感じた。

 

一生のうちに見ないかもしれない

なんてことない景色をみて

わたしはその不思議さと感慨深さを体験する

 

 

こんなことを感じたりする日々の瞬間

海がひとつでよかった

 

海がひとつでよかった

空がひとつでよかった

太陽がひとつでよかった

月がひとつでよかった

 

あなたがたったひとりの存在でよかった

 

物理的な距離があっても

たったひとつの大きな存在が近くにあるとゆうだけで

同じものをどこか遠い場所でも感じていて

そうしたら肉体がなくたって

「感じてる」

ことが最高の至福ではないか

 

だからどこにいても何をしていても

今全身で感じられる地球からの大きな産物

自然や、

人間、

その他様々な大いなる存在、

心から感謝をしてしまう

 

物質じゃなくてもたくさんの音やにおいが巡っている

 

だってすごおく心地が良い

 

 

本当に「繋がる」を体感できる

ひとつの存在は

どんなに大きな幸せをもたらしてくれているのだろう

 

 

だからわたしは、

わたしをこの地まで運んでくれた

その時の風の流れや太陽のパワーに心から感謝してる

 

そして今日も

夜になったら月のひかりが

たったひとつの存在が

わたしに最高の幸せを感じさせてくれる!

 

 

「ひとつ」を感じられるこれらすべての存在

もうすべてはそのまんまで成り立っていて

なんてベストに出来上がっているんだろうと思う

 

 

そんな惑星の上で

わたしは何を考えて

何をする?

時間とゆう最大で最高級のプレゼントを与えてもらい

なにをする?

誰と過ごす?

 

自分が創っていいのだと

今こそきっと

自由な創造で生きてよいのだと

愛を愛でて愛で生きて愛だと知る

そのタイミングは

今これを読んだもう今でしょう

 

さて!

コツコツコツと進んで行く

自分の身と魂をのせてゆく

歌うように

おどるように

わたしのリズムで生きていく

 

 

ゲストハウス暁屋オープン

 

親友サンタ君が山口県萩にゲストハウスオープンしました!

【古民家ゲストハウス 暁屋(あかつきや)】

写真をいくつかもらったんだけど

どれもこれもいい景色でみとれちゃう・・・

ゲストハウスも築年数がかなり長くて、内装外観ともにとても風情があり落ち着く・・・

GWは忙しくなりそやけど、ぜひご予約してみてください!!

「ゆきちゃんのお友達です」って言ったらいいことあるかも♡笑

わたしはお祝いで看板を描きました!!!

 

以下長文になりますがサンタさんとの思い出を・・・(笑)

 

わたしは25才のとき生まれて初めてヒッチハイクをしました。(伊勢〜熊本)
その途中で降り立ったのが姫路でした。
それから数年後姫路に住む流れになるのですが
その姫路で出逢った友人5人目くらいがサンタさんです。
当時のわたしは日々ヨガの仕事をしながらも、一方で同じくらい畑作業に力を入れていました。没頭してた。
車で40分くらいの少し遠いところに畑をお借りしていたのですが
仕事終わりに作業しにいったり、休みの日は早朝から行ったり、
時間があれば畑!畑!!畑!!!
太陽満天のもと、大自然の中育ってくれる野菜たちがどれも可愛くてたまらなかった。
またただひたすらに続けてる中で人生を学べる場でもあった。
生命力溢れるその場所で、土のにおいや作物が育つ過程を実感できるのは本当に有難いこと。


その土地を貸してくれたおじさんと2人の時もあれば、一人でやることも多かった畑作業。
時より姫路でできた友人たちが手伝ってくれたりして
本当に幸せで楽しい時間だった!
その畑には思い出がいっぱい。
そこに一番顔を出してくれてたのがサンタさん。
のりのりで行きの車でJPOPかけて熱唱しながら向かう車内は最高!
畑では果樹もしていたので、木登りして遊んだり、
土の上では瞑想しまくったり、畑作業以外にも思い出いっぱい。

一度の興味本位で畑に来てくれる人もいれば
サンタさんは姫路から実家の岐阜に引っ越した後でも畑をしていたみたいだから
きっと性に合っていたんだな〜と思う。
とにもかくにも自然が大好きな彼!

  

 

そんな彼がさらに自然多き山口県の萩という地域ではじめたゲストハウス暁屋!

のーんびり優しい面持ちのサンタさんの人間味が溢れ出てる素敵な宿なんやろな〜と思っています^^

わたしも帰国したら行く予定!!!


https://www.booking.com/hotel/jp/akatsukiya.ja.html

 

素敵な景色とともに上記にリンク貼っておきます!

ぜひぜひ寛ぎにいってらっしゃいませ^^

認識

 

出逢いと別れの中で

物体がないことでのもの悲しさを感じる事もある

けれど

”存在してる”

という事実が

悲しみの後に大きな喜びに変わるのを知ってる

 

 

それらは

”わたし”という大いなる尊い存在を認識していくうちに

ひしひしと実感できる

 

 

目まぐるしく出逢いがあって

目まぐるしく別れとゆうものもある

見えるようで見えない空気の中に

かけがえのないものが微動してる

 

 

 

この週末はそれらをいっぱいキャッチした

 

全国のお母さん

 

MOTHER EARTH

 

地球は偉大なる母だ。

 

その上で

人間界にもわたしのお母さんがいっぱいにいる。

主な地域は兵庫県揖保郡、姫路、岡山にも・・・

生みの親は地元神奈川だけれど

本当にありがたい。

 

全国にいるお母さんは

わたしのことを想い野菜を分け分けしてくれたり、

各地ヨーガやパフォーマンスで行き渡れば、

寝床を提供してくれる。

しかもあったかいご飯つき。

先月チャクラワークで揖保郡に行ったときなんて

近所の方にわたしの食生活情報をきいて

すんごい考えてとても豪華な晩ご飯を作ってくれた。

(すごく考えてくれたのはわたしがビーガンだと思っていたから。本当はビーガンではなく肉が食べられないだけ。)

翌朝には村の別の近所の方からお誘いいただき

自分のお茶室へと招いていただいた。

急すぎるわたしの「今から少し会えますか?」に

家の仕事があったのにも関わらず

わざわざお着物に着替えてくださり

お茶室に招いてくれた。

最後にわたしがお庭のつばきに感動していたら

お花も分け分けしてくれて・・・

 

そのつばきはとっても可愛らしくて

荷物いっぱいやったけれど

全然手間なんかじゃなく、

帰路、わたしの隣りでやさしく咲いてた。

 

 

「お母さん」ってゆうだけで、もう母性が備わっているのだろうな。

だからこんなトンチンカンな娘をみてたら

危なっかしくって、大丈夫なの?!みたいな点がありすぎて

母性が働かざるをえなくなってしまうのかも・・・

なんて自分予測。

 

 

みんな年上の方だけれど

みーんなそれぞれにそれぞれの歴史を歩んできて

生そして今を生きてる。

 

本人にとっても少しの親切は、

わたしにとって胸がいっぱいになる感動で

この世で笑顔交わせる瞬間があることを

とーっても幸せに思うのです

 

 

なんて恵まれているのでしょう。

わたしはきっと得な人間です。

 

 

お母さんのようなあったかさをくれる全国のわたしのお母さん!!!(勝手にそう呼ぶ!!!)

本当にわたしはあなたたちの愛により生存していけてる次第です。

どうもありがとうございます。

 

 

敬意と感謝をこめて。

 

 

生きていれば、生きているほど

 

生きていれば生きているほどに

気づきや発見や歓びがあって

なーんて楽しいんだろう。

 

今は、気づきが頭の中でコトバになってゆくんだけれど

頭に並んだコトバたちは、自分の呼吸と一緒になって

ふわ〜っと向こう側へ、たんぽぽの綿毛のように

飛んでいってしまう感じ。

それがわたしにとっての「気づき」

 

だから、それをつなぎ止めるのに頭の中は精一杯で

いっぱいそれらのコトバを繰り返して忘れないようにしてる

ノートに書いてみるか

早く実行したくなる!

ただ、アイディアや気づきが山ほどわんさかで
(体中は歓びで動き出したい衝動でいーっぱい)

私の方法で形にしたがる

 

いろんなカウントダウンがあるけれど

(カウントダウンと思っている事でさえ、わたしが決定づけている枠組みなんよな〜きっと)

でもそれは窮屈ではなく、必要でいて良き次のステップへ進む為のもの。

 

自分自身は

いつでもパラダイムシフト

”わたし”に没頭できるから、

だからもう目の前のことに夢中になるしかないんよ

ははは〜〜〜

こんな生き方を決めたのもわたし。

今いる場所を今月で去ると決めたのもわたし。

明日が最高の日になると決めるのもわたし。

誰を愛して誰とともに時間を過ごし何者になるのか

全て”わたし”が決めていいのです

 

 

わたしは、わたしを心から愛してるよ♡♡♡

 

∞空港から愛を込めて∞

レタリングされた景色がドラマみたい

 

ここ5日間での行動範囲がおもしろかった。

岡山

兵庫(姫路)

滋賀(野洲)

石川(加賀)

京都

東京(新宿)

神奈川
滋賀後は宿がなかったけれど、

ご縁の縁の縁にありのままに心を委ねたら

山越え谷こえ

たどり着いたのは湯の郷、加賀。

温泉につかる

平日台風接近中の温泉内にはわたしただ一人。

「ふぅ〜」とか「はぁぁぁぁ」とか「さいこ〜〜〜」とか

幸福を感じながら湯の中にいた。

 

滋賀のイベントでは、

台風接近中で足ビチョビチョでひえっひえになり

女性性を失いかけそうで心中ギクっとしたけれど

そんなわたしをフォローするように

湯の郷へのお導きコースという出来事

最高だ。

 

 

ガラスから内側にもれた赤と青と白の光がとってもキレイで

こうやって記憶に残る思い出が増えていくんだと思った。

 

湯気があがって

わたしの体温もあがる

ふわふわ〜と流れる空だけの感覚は

もう幻想なのか現実なのか分からないよ。

positive mental attitude

 

ピリオドうつのが人生のクセで少し好きみたい。

そこでの恐怖とか不安がいっさいない。

むしろ0になることがワクワクするし、

創造的になって ふっわーーってなる

 

すきな感覚があって、

それを探ったり、感じたりすることがすき。

 

 

また明日旅立つよ

We love you

『私は育てられてきた、私たちはみな、それぞれの兄弟姉妹だと考えろと。

人種や、信条や、肌の色に関わらず。

ウィー・アー・オール・ムスリム。

私たちはみんなイスラム教徒だ。

私たちがみんなメキシコ人で、カトリックでユダヤ人で白人で黒人で、

あるいはその間のいろんな色なのと同じように。

私たちはみんな神(あるいは自然、または何でもあなたの信じるもの)の子で、

人類の家族の1人である。』

今年インドネシアに滞在していて多くのムスリム教徒と出会った。
その中で与えてもらったものは数多く、人を疑えない私が疑いをもってしまうほど親切心と寛大さで溢れていた。それは今も継続している。
色んなことに対して(食事、送迎、その他気遣い)受け止めきれない程惜しみなく愛を与えてくれた彼らに、
『なぜあなたたちはそんなに親切にしてくれるの?私はとても感動している。』
と尋ねたら、
『ゆき、私たちは皆仲間だ。そしてその前は兄弟だった。私たちは家族だよ。』
当時滞在していた村の界隈でアートディレクターしていたトムがそう答えた。
会って数十分おしゃべりしただけやったけど、彼は私にそう告げた。
彼は翌日に私の夢を叶えてくれたのだが(村中の壁に広がるグラフィティの管理をしていて、私にそのスペースを提供してくれた。脚立やその他備品も村のホームステイに借りにいってくれたり、前に描いた人の古くなったグラフィティを消すのを手伝ってくれたり、暑さに困らないように気遣ってくれたり、それはもう本当に親切にしてもらいました。)
この懐深い優しさは、宗教信仰の要素が強いからなのか、彼のパーソナルな部分でそのような対応をしてくれているのか最初はどっちなんだろうって気になっていたけど、
旅して数カ月経った今は、もうそんなことどうでもよくって。
私はただ、彼の伝えてくれた
『ゆき、私たちは皆仲間だ。そしてその前は兄弟だった。私たちは家族だよ。』
この言葉に感動して、深く彼らを尊敬した。
もうその事実だけでじゅうぶんじゃないか。と感じてる。

今のわたしには、日本に心おける、あったかい場所がある。

血が繋がっていないけれど、家族だ。

今わたしは、その家族とひとつ屋根の下に住んでる。

一緒にごはんを食べて、家事をして、笑い合ってる。

悩みは相談して、それぞれが好きな物づくりをして、生きてる。

今日は辛いことがあって、それはもうグシャグシャになってってゆうそんな状態だったんだけれど、その出来事をわたしのヘタクソな言葉で伝えたら
「We love you」
って返ってきたそのメールで、もう全ては完璧で大安心の中にいることに気づけた。

それだけで十分だった。

もうじゅんぶん。

 

過ごした時間の長さじゃない。

やっぱり深さだと思ってる。