か・ら・だ

 

おどることに集中して過ごす機会があると

その期間中

わたしの身体は細くなっていく

消費する量に栄養がおいついていないのか

とにもかくにも一度で全てを出し切るので

汗だけに限らず

気力ともに前回でのぞむので

クリエーションが終わったあとは

すっからかんで気力が尽きているのが身体で分かる。

 

普段摂らない朝食もとらないまま、

お腹の中にものを抱えていない方が

すっかーんと気持ちよく動けるし

パフォーマンス力も上がる気がしてる。

 

 

 

”悪め立ちする”

”貧相にみえる”

 

と今まで意見をいただくことも結構あったけれど

でも!

最近VIDEOに撮った自分のカラダを見る機会があって

その貧弱に見える腕や脚が

そしてむちゃくちゃに動いてる自分のカラダ

滑稽で笑えてきた

 

おもしろい身体やな〜

って感じる。

 

この滑稽さや細くみえる身体を

存分にいかした動きで

みてる人が「おもしろーーーい!」

って思ってくれたら

それだけでいいな。

 

やっぱり

一見ウィークポイントや欠点に感じるようなことも

裏を返せば長所になったりするもんだなあ

 

 

もうすぐ告知をさせてもらいます☺

とてもたのしみです。

標語

 

🌸批判ではなく共感の
心の会話に花咲かせ
個々の蕾 愉快に開けば
平和な心が世界を満たす🌸

 

 

 

ってゆう人権の標語を

一緒に住んでいた子どもの通ってる学校で

夏休みの宿題で親の代わりに考えたことがあったのだけど

年が明け数カ月たった今でも

入賞の通知とか来ないかな〜

って密かに期待している自分がいる。。。

 

この間みたDVDがすごく良くって

3才の子たちが哲学の授業を受けているの。(たしかフランスの映画)

自分の意見を友だちや先生と交換して

言い合って、ひとつの話題について話あっていく・・とゆう内容。

日本人は

相手のことを考えたり、まず謙遜したり、遠慮したり、裏の気持ちを読み取ろうとしてみたり、

ちょっと遠回しや自分の感じた事を発表したり意見することに控えめな面があるけれど

まず自分がどう感じたのか、それからどう考えたのか

を明確にして相手に伝える事はとても良い事だと思う。

相手にどう思われるとかそこに意識を運んで意見しても真っ当に話してる感ないもんね。

もしもそうやってその場は穏便な空気が流れたとしても

平和にみえて、実はそうじゃない。

 

心で会話できるっていいよね。

とっても好きなことだな〜

アートに触れる/心をのぞく

 

今日は朝ダンスの練習をした天神山文化プラザで

第12回 岡山県新進美術家育成「I氏賞」選考作品展とゆうのがあったので

帰りに観賞してきました。

展示会なんていくのが何年ぶりだろうとゆうくらい直接アートに触れていないわたし・・・

記憶に残ってるのが17才の時に行ったイギリスのルーブル美術館だよ・・・

記憶が抜けすぎてるのもありそうやけど

 

 

感想は、

すてき。

作家の意思がすてき!

作品もすてき!!!

 

 

 

そして気づいたんだけど

映画や絵画や音楽などを観賞などして

そこで感じた微細な感覚を言葉にする作業

これが好きだとゆうことに気づいた

好きとゆうか得意?とゆうのかな・・・(上手下手は別として)

今日も観賞しながら言葉や想いがあふれてきて

配布されたアンケート用紙に

ひたすら感じた事をズラズラとつづっていた(裏面までビッシリと。笑)

 

心を動かす作品たち

心が見える作品たち

とても素晴らしい感受性をお持ちなんだろうな〜

と作家さんへの敬意が芽生えました。

 

 

わたしも

今までの自分の生きてきて感じたことたち

どういった形かで表す事ができたらいいな。

 

どんな手段になるだろう。

絵かな、インスタレーションかな、踊りかな、音楽かな・・・・

まだ分からないけれど

そういう意欲が沸いてる時って私の中では奇跡だと思うから

ワクワク沸き上がらせたいです

 

 

いい日だったー

明日もたのしみ♡

呼吸の深さと女らしさ

 

1月も終わろうとしています。

今月はとっても呼吸が深いのを感じる月でした。

びっくりすほどスッコーンと通る

ここ数カ月で痩せたからかもしれない。

 

スッカラカンの身体

サイズは分かっていないけれど、

便秘が解消し、

汗をかく機会も増えたせいか、

中身の荷物(お肉)がさらに減り、

身体の中の容量が増えました。

 

吐くのも吸うのも

どんだけ入る込むんだ〜って吸いながら

考え事ができちゃうくらい

呼吸が深い

 

 

容量がひろくなって

さらにすっからかんなのは

きもちいい

朝のゆっくりじっくり時間をかけてする瞑想は

やっぱりきもちいいし最高。

 

 

でも

でも

でも

痩せると腰骨や座骨に赤紫のアザができるし

アバラ骨がうっすら見えるし

貧相に見えるから

女性らしさから遠ざかってしまう

気がする

 

 

女性らしさってなんだろう。

 

 

 

 

もう終わりだ!!

 

過去のことを思い出し

感謝溢れる自分きもちがわるいと思った!

なんだかよく分からないけれど。

 

今を感じきり

目の前の物事にめいいっぱい全力投球し

命輝かせることで

それを感謝と表したい。

 

焦ってとにかく俊足で進め!

という訳ではない。

 

じわ〜〜っと快楽に浸ることもOK

無我夢中で時間を忘れ絵に熱中するのもOK

怒り爆発でうぉぉぉりゃあああ〜!!って壁叩いてもOK

 

 

すかっときもちよく表現で生活をしていきたい。

 

 

 

今この瞬間がすべて。

 

 

 

苦手なことを捨てた

 

苦手なこと

全部やーーーーめたっ!!!!!!

 

症状がはっきりと出ているのに

この世に飛び出してから

「忍耐」や「我慢」

なんてものを覚えてしまったから

脳みそと身体が超鈍感になっていました。

 

元々鈍感人間だっていうのに

それを年十年も泣きながら苦しみながら続けていた

 

避けたら

逃げたら

捨てたら

それだけなのに。

 

本当に悩んでいたなぁ

苦しんでいたなぁ

苦しんで悩んでこそ意味がある!

なんて言葉も耳にした時期もあったけれど

そんな時間はもったいなかったなぁ

超もったいなかったです。

と感じます。

 

 

気づかないものです。

今はすっからからんと

風通しが良いです(よすぎて寒い!!)

 

 

おやすみなさい☆

全国のお母さん

 

MOTHER EARTH

 

地球は偉大なる母だ。

 

その上で

人間界にもわたしのお母さんがいっぱいにいる。

主な地域は兵庫県揖保郡、姫路、岡山にも・・・

生みの親は地元神奈川だけれど

本当にありがたい。

 

全国にいるお母さんは

わたしのことを想い野菜を分け分けしてくれたり、

各地ヨーガやパフォーマンスで行き渡れば、

寝床を提供してくれる。

しかもあったかいご飯つき。

先月チャクラワークで揖保郡に行ったときなんて

近所の方にわたしの食生活情報をきいて

すんごい考えてとても豪華な晩ご飯を作ってくれた。

(すごく考えてくれたのはわたしがビーガンだと思っていたから。本当はビーガンではなく肉が食べられないだけ。)

翌朝には村の別の近所の方からお誘いいただき

自分のお茶室へと招いていただいた。

急すぎるわたしの「今から少し会えますか?」に

家の仕事があったのにも関わらず

わざわざお着物に着替えてくださり

お茶室に招いてくれた。

最後にわたしがお庭のつばきに感動していたら

お花も分け分けしてくれて・・・

 

そのつばきはとっても可愛らしくて

荷物いっぱいやったけれど

全然手間なんかじゃなく、

帰路、わたしの隣りでやさしく咲いてた。

 

 

「お母さん」ってゆうだけで、もう母性が備わっているのだろうな。

だからこんなトンチンカンな娘をみてたら

危なっかしくって、大丈夫なの?!みたいな点がありすぎて

母性が働かざるをえなくなってしまうのかも・・・

なんて自分予測。

 

 

みんな年上の方だけれど

みーんなそれぞれにそれぞれの歴史を歩んできて

生そして今を生きてる。

 

本人にとっても少しの親切は、

わたしにとって胸がいっぱいになる感動で

この世で笑顔交わせる瞬間があることを

とーっても幸せに思うのです

 

 

なんて恵まれているのでしょう。

わたしはきっと得な人間です。

 

 

お母さんのようなあったかさをくれる全国のわたしのお母さん!!!(勝手にそう呼ぶ!!!)

本当にわたしはあなたたちの愛により生存していけてる次第です。

どうもありがとうございます。

 

 

敬意と感謝をこめて。

 

 

岡山の人

 

●好きな事に明確で貪欲
●意見をしっかり相手に伝えられる
●親切心が備わっている
●人助け精神(心の面で)がある
●やわらかい雰囲気を纏っている
●きつくない人当たり、言葉、でも芯がある
上記を話す機会になると
「え〜〜そうでもないよ〜〜〜」
 が返ってくる率100%やけど
もちろんいっろーんな人がいるし
それぞれが様々な環境で育ってきてる
のは重々承知。
これらは自分が関わってきた人たちでの印象にすぎない。
わたしは幸運かも
そんな人ばかりに出会っている。
岡山県人バンザイ!

言葉のリアル

 

体験したモノコトがすべて

体験したから共感することができて

体験したから伝える事項がリアルになる

 

 

知識だけの伝達の言葉はやはり重みやリアリティにかける

体験をした身体で起きた事を言葉にすると

少しつまずいた口調だとしても

とてもリアルで

相手も同じような状況を経験しているとなおさら

深く共感し合える。

理解へと繋がる。

 

 

言葉にすることは

自分自身への確信にもなるし、

意識を明確にさせる手段。

いろいろな気づきをくれる。

 

人に伝えるでも、文章をかくでも、どちらでもいい。と思う。

アウトプットはとてもたのしい。

 

 

 

気づきは風のようにフワッとその場を去ってしまうけれど

その気づきこそ、とても素敵な感覚で

「今」の自分を象徴するものだと感じる。

そうゆう瞬間が日々の中で多々あって

なんだか「感じる」ことと「それを変換する」ことが同時にできると

すごーくポジティブな記録をしているようで

とても楽しい。

 

もっと言葉で表現できるようになりたい。

 

 

感じるだけのかけがえのないもの

 

こんな寒い冬の日々でも

こもれびに助けられ

こもれびに顔と心を温められ

こもれびに感動し

 

ああ。。。幸せ。生きててよかった。。。
この幸せ逃したくない。離れないで。今よ続け!!永遠に。。。。!!!!

 

とヨガマットの上でゴロンとしながら感じる

 

 

感動して涙さえ流れる(どれだけ幸せ感度が低いんだっっ!!)

 

 

もし生まれ変わるとしたら

人体研究家か太陽研究家になりたい・・・

 

 

最近光が愛おしい

なぜかクリスマスから新たに始めたチャクラワークでも

木のイメージを持ちながらする瞑想があり、

その際、わたしから生える枝の周りには

葉っぱではなくたくさんの光が灯っていた。

「光」は今年のキーワードなのかもしれない。

 

 

まつげにかかる日の光があたたかくて

わたしの視界を幻想的に潤わせてくれる・・・

全身をまんべんなく幸せで満たしてくれる瞬間

 

 

こもれびの密かな幸せを味わえる人と一緒になりたい・・・・