か・ら・だ

 

おどることに集中して過ごす機会があると

その期間中

わたしの身体は細くなっていく

消費する量に栄養がおいついていないのか

とにもかくにも一度で全てを出し切るので

汗だけに限らず

気力ともに前回でのぞむので

クリエーションが終わったあとは

すっからかんで気力が尽きているのが身体で分かる。

 

普段摂らない朝食もとらないまま、

お腹の中にものを抱えていない方が

すっかーんと気持ちよく動けるし

パフォーマンス力も上がる気がしてる。

 

 

 

”悪め立ちする”

”貧相にみえる”

 

と今まで意見をいただくことも結構あったけれど

でも!

最近VIDEOに撮った自分のカラダを見る機会があって

その貧弱に見える腕や脚が

そしてむちゃくちゃに動いてる自分のカラダ

滑稽で笑えてきた

 

おもしろい身体やな〜

って感じる。

 

この滑稽さや細くみえる身体を

存分にいかした動きで

みてる人が「おもしろーーーい!」

って思ってくれたら

それだけでいいな。

 

やっぱり

一見ウィークポイントや欠点に感じるようなことも

裏を返せば長所になったりするもんだなあ

 

 

もうすぐ告知をさせてもらいます☺

とてもたのしみです。

呼吸の深さと女らしさ

 

1月も終わろうとしています。

今月はとっても呼吸が深いのを感じる月でした。

びっくりすほどスッコーンと通る

ここ数カ月で痩せたからかもしれない。

 

スッカラカンの身体

サイズは分かっていないけれど、

便秘が解消し、

汗をかく機会も増えたせいか、

中身の荷物(お肉)がさらに減り、

身体の中の容量が増えました。

 

吐くのも吸うのも

どんだけ入る込むんだ〜って吸いながら

考え事ができちゃうくらい

呼吸が深い

 

 

容量がひろくなって

さらにすっからかんなのは

きもちいい

朝のゆっくりじっくり時間をかけてする瞑想は

やっぱりきもちいいし最高。

 

 

でも

でも

でも

痩せると腰骨や座骨に赤紫のアザができるし

アバラ骨がうっすら見えるし

貧相に見えるから

女性らしさから遠ざかってしまう

気がする

 

 

女性らしさってなんだろう。

 

 

 

 

言葉のリアル

 

体験したモノコトがすべて

体験したから共感することができて

体験したから伝える事項がリアルになる

 

 

知識だけの伝達の言葉はやはり重みやリアリティにかける

体験をした身体で起きた事を言葉にすると

少しつまずいた口調だとしても

とてもリアルで

相手も同じような状況を経験しているとなおさら

深く共感し合える。

理解へと繋がる。

 

 

言葉にすることは

自分自身への確信にもなるし、

意識を明確にさせる手段。

いろいろな気づきをくれる。

 

人に伝えるでも、文章をかくでも、どちらでもいい。と思う。

アウトプットはとてもたのしい。

 

 

 

気づきは風のようにフワッとその場を去ってしまうけれど

その気づきこそ、とても素敵な感覚で

「今」の自分を象徴するものだと感じる。

そうゆう瞬間が日々の中で多々あって

なんだか「感じる」ことと「それを変換する」ことが同時にできると

すごーくポジティブな記録をしているようで

とても楽しい。

 

もっと言葉で表現できるようになりたい。

 

 

愛する行為

自分のカラダを(もっと)愛したかったのかもしれません。
それはこの肉体のすみずみを全うすること、
まんべんなく意識をすること。
ただでさえ心臓や脳みそ腎臓肝臓胃脾臓胃腸とかとかが
この肉体に詰め込まれていて
なんて宝物がつまってるんだ〜〜!!!
とひしひしと感動する瞬間が何度もあります。
まるで自分のカラダは宝箱みたいだ!
かわいいな。大切やな。
って本当に感じる。
どの状態でも心臓が動いてて血流が全身に流れていること自体がドラマチックだけど
やっぱり自身の可能性(どんな身体でいられるのか)は知っておきたいな〜って感じています。
そしてそれには意識を研ぎすます「時間」が必要だし
じっくりと「感じる」ことをしていく必要もある。
未知な状態にふみいれる勇気も必要だし
何にしろ「感じる」センサーは純度高いものにしていきたい
年末12/31ですが
わたしの精神は納まることを知らず
「納め」なんて巷であふれる言葉も似合わないくらい
ひらびやかに踊り倒しました。
一般社会では「〜納め』になる日から
わたしは完全に「はじまり」を感じました
人間じゃなくなってみたい!
昨日感じたことだよ。
未知の世界の冒険は
ワクワクの方向に光とともに
進んでいくのです
今ここにいるのは
やーっぱり意味があったんだなー
境目なく年が明けましたが
今年もよろしくお願いします。

カラダカンカク

 

空っぽはしあわせ

空っぽになると創造力がわきあがる

空っぽはここちよい

 

 

わたしがそれを感じるときは

ヨーガをしたあとと

身体を掌握したような気分になったとき

 

 

すかっとわたしを包む色が透明になっていく

景色や吸い込む空気でさえ

きらめいて新鮮なものになる

だからあきなく続けてしまう

 

自由におどることと、

ヨーガをすること。

生きていれば、生きているほど

 

生きていれば生きているほどに

気づきや発見や歓びがあって

なーんて楽しいんだろう。

 

今は、気づきが頭の中でコトバになってゆくんだけれど

頭に並んだコトバたちは、自分の呼吸と一緒になって

ふわ〜っと向こう側へ、たんぽぽの綿毛のように

飛んでいってしまう感じ。

それがわたしにとっての「気づき」

 

だから、それをつなぎ止めるのに頭の中は精一杯で

いっぱいそれらのコトバを繰り返して忘れないようにしてる

ノートに書いてみるか

早く実行したくなる!

ただ、アイディアや気づきが山ほどわんさかで
(体中は歓びで動き出したい衝動でいーっぱい)

私の方法で形にしたがる

 

いろんなカウントダウンがあるけれど

(カウントダウンと思っている事でさえ、わたしが決定づけている枠組みなんよな〜きっと)

でもそれは窮屈ではなく、必要でいて良き次のステップへ進む為のもの。

 

自分自身は

いつでもパラダイムシフト

”わたし”に没頭できるから、

だからもう目の前のことに夢中になるしかないんよ

ははは〜〜〜

こんな生き方を決めたのもわたし。

今いる場所を今月で去ると決めたのもわたし。

明日が最高の日になると決めるのもわたし。

誰を愛して誰とともに時間を過ごし何者になるのか

全て”わたし”が決めていいのです

 

 

わたしは、わたしを心から愛してるよ♡♡♡

 

∞空港から愛を込めて∞

レタリングされた景色がドラマみたい

 

ここ5日間での行動範囲がおもしろかった。

岡山

兵庫(姫路)

滋賀(野洲)

石川(加賀)

京都

東京(新宿)

神奈川
滋賀後は宿がなかったけれど、

ご縁の縁の縁にありのままに心を委ねたら

山越え谷こえ

たどり着いたのは湯の郷、加賀。

温泉につかる

平日台風接近中の温泉内にはわたしただ一人。

「ふぅ〜」とか「はぁぁぁぁ」とか「さいこ〜〜〜」とか

幸福を感じながら湯の中にいた。

 

滋賀のイベントでは、

台風接近中で足ビチョビチョでひえっひえになり

女性性を失いかけそうで心中ギクっとしたけれど

そんなわたしをフォローするように

湯の郷へのお導きコースという出来事

最高だ。

 

 

ガラスから内側にもれた赤と青と白の光がとってもキレイで

こうやって記憶に残る思い出が増えていくんだと思った。

 

湯気があがって

わたしの体温もあがる

ふわふわ〜と流れる空だけの感覚は

もう幻想なのか現実なのか分からないよ。

positive mental attitude

 

ピリオドうつのが人生のクセで少し好きみたい。

そこでの恐怖とか不安がいっさいない。

むしろ0になることがワクワクするし、

創造的になって ふっわーーってなる

 

すきな感覚があって、

それを探ったり、感じたりすることがすき。

 

 

また明日旅立つよ

発芽時期

 

今年に入って今まで以上に自分の本心と向き合い、

畑に自然のタイミングで種がまかれていきました。

その瞬間はどれも煌めいていて

大地にも太陽にも恵まれていたように思います。

抜群のタイミングです。

 

そこから必要なタイミングで発芽がはじまり、

花を満天に咲かす為の

さらに本心の核にせまる作業に移っているように感じています。

 

酷暑や極寒に耐える辛い状態もありましたし
そこから抜け出し
創作意欲が沸き上がるのを強く感じる場面もありました。

 

そんな日々過ごす中で
様々な感情に忠実に寄り添いながら
今も瞬間を生きている次第です。

そこに意識を集中してしまう為
報告?告知?のような後処理的なことができていなくて
発信したまんま

だから、これから数日間のブログでは
関わり、声をかけてくれた人たちと想像してきたものの
その報告を少しずつしていきたいと思います。

早すぎるかもしれないけれど

2018年なんじゃこりゃ〜っていう流れで
いろんなことがわきあこっていたよな〜〜
発芽がいろんな場所でおこなわれていて
そのエネルギーをわたしも存分に感じていたせいか
反応が強かったり弱かったりいろいろで(当たり前のことなんだけど)
間引きが必要な時期にしてあげられなくって窮屈を感じてたり

 

でも、それでも

ぜーんぶわたしなんです。

ステージ上の絶頂

 

どれくらいぶりに、照明を浴びただろう。

 

わたしの身体は少し緊張をしていて

この感覚、悪くない

わたしをわたしが試してる

楽しんでる

多分「緊張」と感じたのは

 

観客がいるからじゃない

ステージに立っているからじゃない

うまくやらなきゃという焦りからではない

理由なんてどうでもいいんだけど

多分そんな理由ではないような気がする

 

今からどんなに焦っても、

どんなにスキルあげて良く見せようと背伸びしても、

何かをどうしようとする心自体が

プレッシャーを生む

 

だから、ひとつ深呼吸をして

自分を信じる

これが

「自信」

それしか実はできない

 

わたしには自信がある

そのまんまのわたしを受け入れる自信

だから、何も怖くなくて

どういう現実がきても

それが結果だから

その結果があるだけで

それはどうにも変えられない

だから100%に生きるしかないんだ。

 

遠くに並んだお客さんの顔が

誰一人として知っている人がいないはずなのに

すごく懐かしく感じて

あっこの感じ

数年前とどこか似ている

 

演奏がはじまったその瞬間は

ステージ上に奏者がいるんだけど

わたし自身と勝負している感じで

感覚で対話してた

 

「もう少し深く呼吸して

落ち着いて

信じて

何にもせかされないで

 

魅せろ

魅せろ

魅せろ

 

わたしの等身大を

今生きてるのを

示せ」

 

そうやって

わたしがわたしへ伝えてた

 

低いステージの上でも

わたしは最高の絶頂にいた

 

絶頂は

スリルとリスクがあるけれど

眺めと体感は

この世の何もかもを超越するエネルギーで

快楽と生きてる心地を与えてくれる。

 

7月15日

また何かが始まった気がした