カラダカンカク

 

空っぽはしあわせ

空っぽになると創造力がわきあがる

空っぽはここちよい

 

 

わたしがそれを感じるときは

ヨーガをしたあとと

身体を掌握したような気分になったとき

 

 

すかっとわたしを包む色が透明になっていく

景色や吸い込む空気でさえ

きらめいて新鮮なものになる

だからあきなく続けてしまう

 

自由におどることと、

ヨーガをすること。

生きていれば、生きているほど

 

生きていれば生きているほどに

気づきや発見や歓びがあって

なーんて楽しいんだろう。

 

今は、気づきが頭の中でコトバになってゆくんだけれど

頭に並んだコトバたちは、自分の呼吸と一緒になって

ふわ〜っと向こう側へ、たんぽぽの綿毛のように

飛んでいってしまう感じ。

それがわたしにとっての「気づき」

 

だから、それをつなぎ止めるのに頭の中は精一杯で

いっぱいそれらのコトバを繰り返して忘れないようにしてる

ノートに書いてみるか

早く実行したくなる!

ただ、アイディアや気づきが山ほどわんさかで
(体中は歓びで動き出したい衝動でいーっぱい)

私の方法で形にしたがる

 

いろんなカウントダウンがあるけれど

(カウントダウンと思っている事でさえ、わたしが決定づけている枠組みなんよな〜きっと)

でもそれは窮屈ではなく、必要でいて良き次のステップへ進む為のもの。

 

自分自身は

いつでもパラダイムシフト

”わたし”に没頭できるから、

だからもう目の前のことに夢中になるしかないんよ

ははは〜〜〜

こんな生き方を決めたのもわたし。

今いる場所を今月で去ると決めたのもわたし。

明日が最高の日になると決めるのもわたし。

誰を愛して誰とともに時間を過ごし何者になるのか

全て”わたし”が決めていいのです

 

 

わたしは、わたしを心から愛してるよ♡♡♡

 

∞空港から愛を込めて∞

レタリングされた景色がドラマみたい

 

ここ5日間での行動範囲がおもしろかった。

岡山

兵庫(姫路)

滋賀(野洲)

石川(加賀)

京都

東京(新宿)

神奈川
滋賀後は宿がなかったけれど、

ご縁の縁の縁にありのままに心を委ねたら

山越え谷こえ

たどり着いたのは湯の郷、加賀。

温泉につかる

平日台風接近中の温泉内にはわたしただ一人。

「ふぅ〜」とか「はぁぁぁぁ」とか「さいこ〜〜〜」とか

幸福を感じながら湯の中にいた。

 

滋賀のイベントでは、

台風接近中で足ビチョビチョでひえっひえになり

女性性を失いかけそうで心中ギクっとしたけれど

そんなわたしをフォローするように

湯の郷へのお導きコースという出来事

最高だ。

 

 

ガラスから内側にもれた赤と青と白の光がとってもキレイで

こうやって記憶に残る思い出が増えていくんだと思った。

 

湯気があがって

わたしの体温もあがる

ふわふわ〜と流れる空だけの感覚は

もう幻想なのか現実なのか分からないよ。

positive mental attitude

 

ピリオドうつのが人生のクセで少し好きみたい。

そこでの恐怖とか不安がいっさいない。

むしろ0になることがワクワクするし、

創造的になって ふっわーーってなる

 

すきな感覚があって、

それを探ったり、感じたりすることがすき。

 

 

また明日旅立つよ

発芽時期

 

今年に入って今まで以上に自分の本心と向き合い、

畑に自然のタイミングで種がまかれていきました。

その瞬間はどれも煌めいていて

大地にも太陽にも恵まれていたように思います。

抜群のタイミングです。

 

そこから必要なタイミングで発芽がはじまり、

花を満天に咲かす為の

さらに本心の核にせまる作業に移っているように感じています。

 

酷暑や極寒に耐える辛い状態もありましたし
そこから抜け出し
創作意欲が沸き上がるのを強く感じる場面もありました。

 

そんな日々過ごす中で
様々な感情に忠実に寄り添いながら
今も瞬間を生きている次第です。

そこに意識を集中してしまう為
報告?告知?のような後処理的なことができていなくて
発信したまんま

だから、これから数日間のブログでは
関わり、声をかけてくれた人たちと想像してきたものの
その報告を少しずつしていきたいと思います。

早すぎるかもしれないけれど

2018年なんじゃこりゃ〜っていう流れで
いろんなことがわきあこっていたよな〜〜
発芽がいろんな場所でおこなわれていて
そのエネルギーをわたしも存分に感じていたせいか
反応が強かったり弱かったりいろいろで(当たり前のことなんだけど)
間引きが必要な時期にしてあげられなくって窮屈を感じてたり

 

でも、それでも

ぜーんぶわたしなんです。

ステージ上の絶頂

 

どれくらいぶりに、照明を浴びただろう。

 

わたしの身体は少し緊張をしていて

この感覚、悪くない

わたしをわたしが試してる

楽しんでる

多分「緊張」と感じたのは

 

観客がいるからじゃない

ステージに立っているからじゃない

うまくやらなきゃという焦りからではない

理由なんてどうでもいいんだけど

多分そんな理由ではないような気がする

 

今からどんなに焦っても、

どんなにスキルあげて良く見せようと背伸びしても、

何かをどうしようとする心自体が

プレッシャーを生む

 

だから、ひとつ深呼吸をして

自分を信じる

これが

「自信」

それしか実はできない

 

わたしには自信がある

そのまんまのわたしを受け入れる自信

だから、何も怖くなくて

どういう現実がきても

それが結果だから

その結果があるだけで

それはどうにも変えられない

だから100%に生きるしかないんだ。

 

遠くに並んだお客さんの顔が

誰一人として知っている人がいないはずなのに

すごく懐かしく感じて

あっこの感じ

数年前とどこか似ている

 

演奏がはじまったその瞬間は

ステージ上に奏者がいるんだけど

わたし自身と勝負している感じで

感覚で対話してた

 

「もう少し深く呼吸して

落ち着いて

信じて

何にもせかされないで

 

魅せろ

魅せろ

魅せろ

 

わたしの等身大を

今生きてるのを

示せ」

 

そうやって

わたしがわたしへ伝えてた

 

低いステージの上でも

わたしは最高の絶頂にいた

 

絶頂は

スリルとリスクがあるけれど

眺めと体感は

この世の何もかもを超越するエネルギーで

快楽と生きてる心地を与えてくれる。

 

7月15日

また何かが始まった気がした

 

振り返ることなく進んでもう8月

 

です。

 

7月はパフォーマーとして、
ヨーガインストラクターとして、
アートモデルとして、
ダンサーとして、

息をした時間がたくさんあった。
生きてる実感がいっぱいあった。

 

その中でわたしというものは色んな表情をする。
きっとヨーガの時にでる笑顔と
パフォーマーの時にでる笑顔は
全然ちがうように思う。

 

悔しすぎて泣いたときもあった。
不甲斐なさで暗い表情にもなった。

 

ただでさえでかい目を
これでもかというくらい見開いて
わざと鬼神のような顔をしてみたときもあった。

 

さまざまなわたしの職業は
わたしというものを色んな形へと変容させ
より柔軟に素敵な可能性を引き出してくれる。

 

そんな風にさせてくれる周りにいるみんな、
いつもわたしを面白がってくれる人たち、
サポートしてくれる人たち、
新しく顔を合わし出会えた人たち、

そして、

感動を与えてくれた景色、
感動を感じさせてくれるわたしの身体、
感動の場面をクリエイトしてくれた人、

いつでも感謝している。

 

今月はどんな自分をクリエイトしていけるかな。

 

中毒症状のように

 

中毒症状のように、

わたしは今踊りをしたくてたまらない。

このカラダで表現をしたくって、たまらない。

自己満足で外に飛び出してただやる。のではなく、

誰かが側にいて、その人も表現をしている。

誰かというのは人に限ったことじゃない。

山だって同調してくれるし、川も呼吸する。

相互作用でどんどん広がっていく宇宙の輪っかみたいなのが

常に膨大していく感じ。

 

気が変わりやすい性質だから

この気持ちはこの気持ちで明日は分からない。

でも大切にしたい、大事な気持ち。

 

本音

 

わたし人のマネをするのが苦手。

カウントや音に合わせて同じ向きに手を出し、
ポーズをとり、振りをしっかりと緻密に揃えたりするの、
超苦手。

小さい頃したダンスと言えば全部そうやった。

そしてダンスというものは、
年を重ねるごとにクオリティを要される場面が増え、
さらに振りは緻密になり、
多人数でやるものにいたっては
同じ角度に身体を揃えたり、同じタイミングで動きをきめたり、
視点が厳しくなってくる。

それらを乗り越え覚えられれば、
後に楽しさ、やり甲斐、達成感で溢れるのだろうけど、

それになるまでの作業は、
わたしはあんまり好きじゃない。

だって「時間」を迫られるから。

「この時間までに覚えましょう」
があると、
急いで覚えなきゃと焦ってしまう。

さらにそれらを多数で行うとなると、
緊張感が増し、どうやらそうゆう空気が苦手のようだ。

 

 

一方で、ダンスはわたしを自由にしてくれた。

28才で本格的におどりに関わる環境に身を入れてみた。

いつもヨーガでゆるめていたわたしの身体が、
その時ばかりは日々「ダンサー」として
実践の吸収と排出を繰り返す。

でも、それを続けたら
生理が止まり、歯も抜けて、虫歯11本になり、
体重減少であばら骨は出てくるし、
すんごく可哀想な状態になった。

だけれど、
そこで舞踏にも出会ったし、
憧れだったコンテンポラリーダンスもすることができた。
ここで体感したすべての出来事は
今のわたしに確実に繋がっている。

 

 

ライバルとか、いない。

こうなれたらいいなぁ、も特にない。

なぜなら
踊ることはわたしにとって排出作業だから、

わたしのカラダから出たものを
変えることも、磨くことも、必要がない。

そのまんま。

あえて言うなら、
それ以前の問題だ。

自分がどうゆう気持ちで日々暮らしているかとか、
どんなことで感動しているかとか、

そんなことが、
排出作業のとき=踊り
全部でるのだと思ってる。

あっ
あとユーモアとロマンと孤独も大事。

 

こんな感じでしているわたしの動きや観念。

もしそれをおどりと呼んでもOKならば、

わたしは踊りが大好きで、
切っても離せない存在なのだと思う。

そしてわたしはとても快適で
わたしらしいと思えるわたしのダンスと出会えてすごく幸せ。

ダンスは、
「わたしはわたしでいい」
ってことを教えてくれた。

わたしはわたしでいたいから、
これからも踊りをしていくんだと思う。

 
誰かへのごめんなさいとか、

誰かへの祈りとか、

好きな人への告白とか、

悲しい想いの浄化とか、

なんだか分からないことを明確にすることとか、

届けたい想いとか、

心からありがとうっていう気持ちとか、

どうにもならないけどどうにかしたいこととか、

不条理に感じた出来事への気持ちの行き場とか、

 
そうゆうのが、ぜんぶまるごとわたしの踊りなんだと思います。

 

 

 

環境整備

 

自分を愛してあげるということは、

外界のものに左右されず、自分の本音を確認しながら、それを大切に行動できること。

優しい呼吸をしてあげるということ。

だから、本来そのまんまの状態でいられれば調和しているはず。

何を頑張りすぎなくたって、何かに苦しみを感じなくたっていいもの。

だけど、刺激が少々強めなこの地球上では、

本来そのまんまでピッカピカの私たちの魂に霞がかかって、

”本当”が見えずらくなる。

だから、何かで纏ったり、物を多く所有することで、満足をしている気になってる。

これは自我が出てる証拠。

その反面、何かの誘導によって、調和を保てる環境になったとき、本当に至福感で満たされる。

至福というのは、感情ではなく、状態。その人自身。

 

 

今の地球人は、このバランスをとりながら生活している。

私も自分が大事なことわかっているはず。

なのに、ついつい甘えが出て、違った方向へずるりと進んでしまいそうになると、最終的に罪悪感でいっぱいになる。

少しずつ、すこしずーーーーつ、変容していく自分に気づいてあげることが大切だ。

 

「私が私をつくっている」感覚から

「私は私で創られている」の感覚へ

この感覚に気づけると、いつでもトキメキと感謝いっぱいの時間を過ごせる。

一番近い存在の「わたし」

まずはそこから環境整備。