苦手なことを捨てた

 

 

去年末に愛車を手放した。

今の交通手段は徒歩か主に自転車に乗って移動する。

ギアがないので坂道は少し踏ん張りが必要だけど、

冬なのでとばすと顔面が凍るように冷たいけれど、

わたしはこの手段が一番合ってる。

 

 

車を手放した理由は

●車の維持費を賄えないため

●駐車代など考慮すると車を持つ必要性が低い

って答えることが多かったけれど

 

もっと自分の本心を探ると違う理由があがった。

 

 

わたしは極度の方向音痴だ。

曲がり角や看板をしっかりと頭に記憶したつもりでも、

帰り道を間違えてしまう。

信じられないかもしれないが

20分でいける道のりを2時間かかって到着したということもあった。

だいたいこの辺だろう・・・

となんとなーくの感覚で進んでしまえばもうオシマイ。

予想は大ハズレして途方に暮れる。

 

さらに極度の乗り物酔い。(自転車以外の全ての乗り物に酔う)

これは生まれた頃から今に至るまで一度も解消したことがない問題。

色んなことを試してきたがいっこうに治らない。

だから「酔わない」という通常感覚がまず分からない。

車にのれば一分で酔いモードになる。

「気持ちの問題だよ〜」と言われた事、何度もある。

ありとあらゆる車酔い解消方法を試してきたけれど、

治る事はまるでなかった。

だから、道に長時間迷うことで酔っている時間も増し

ものすんごーーーーく車内で気持ちが悪くなり

グラグラで頭痛になったり気持ち悪くなったりいろんな症状がでる。

高校大学は往復4時間の道のりを計7年間通学していた。

毎回気持ち悪くなり途中でおりたり、号泣は当たり前。

今思えば、軽いパニック障害だったようにも感じる。

 

道に迷いまくっている自分は

涙とため息がでるほどに

情けなく感じる。

これ、どんなに気をつけてみても駄目なの。

ナビがあったら、、、とかの問題ではないんです。

だってナビがあっても迷うんです。

思考回路のネジがピョンっとひとつはずれているみたい。

 

 

そーんな苦手なのに、

気持ち悪くなる事が「当たり前」と最近まで過ごしてた。

だけど去年末に手放した愛車。

便利ということで当たり前のように使用していた愛車。

手放す事でそのストレスからいっきに解放された。

今は、スーーーっと気持ちがいい。

 

 

 

苦手な事を辞めた。

すると知らなかった世界を体感できるし、そこで心が豊かになった。

これは今回書いた車の手放しに限らずです。

 

イヤやな〜と感じる作業は辞めたらいい。

苦手やなぁ〜という相手とは付き合わなければいい。

無理をしていない??

気分が悪くない?

自分に聞いてあげたらいい。

 

 

全部選択しているのは自分。

他人に理由なんてない。

その気持ちになる状況を選択しているのも自分。

こんなシンプルなことなのに、人間は

いろんな理由をつけて「不安定」を「安定」のように装っている。

自ら苦しい状況にしている。

 

毎日のルーティンになっているから

感覚が麻痺しているのだ。

 

 

常に心地よい環境

これを実践できたらいいね。

 

 

少しどころじゃない恐怖がともなうこともあるだろう

でもそれを抜けた先には、

本当の意味でふかーーーーく、ながーい呼吸(ヨガと一緒だね)で

深い至福で満たされるのだと思う。

 

 

まずは私自身が何十年も気づかなかった。

苦しくて辛くて号泣することが当たり前になっていた車酔いというストレス。

なーんて自分の苦しめていたんだろう。

 

 

逃げるのは悪い事じゃないよ

 

 

そんな辛さでさえ今は

人体実験やな〜楽しいな〜なんて思えるようになったけど。

 

ひろーい海のように壮大な静けさと穏やかさは

本当に気持ちがいいよ。

これだけで最高のプレゼントを受け取れたね。

 

 

長く気づきずらかったことへの自身の記録として
ブログに残してみました。

岡山の人

 

●好きな事に明確で貪欲
●意見をしっかり相手に伝えられる
●親切心が備わっている
●人助け精神(心の面で)がある
●やわらかい雰囲気を纏っている
●きつくない人当たり、言葉、でも芯がある
上記を話す機会になると
「え〜〜そうでもないよ〜〜〜」
 が返ってくる率100%やけど
もちろんいっろーんな人がいるし
それぞれが様々な環境で育ってきてる
のは重々承知。
これらは自分が関わってきた人たちでの印象にすぎない。
わたしは幸運かも
そんな人ばかりに出会っている。
岡山県人バンザイ!

言葉のリアル

 

体験したモノコトがすべて

体験したから共感することができて

体験したから伝える事項がリアルになる

 

 

知識だけの伝達の言葉はやはり重みやリアリティにかける

体験をした身体で起きた事を言葉にすると

少しつまずいた口調だとしても

とてもリアルで

相手も同じような状況を経験しているとなおさら

深く共感し合える。

理解へと繋がる。

 

 

言葉にすることは

自分自身への確信にもなるし、

意識を明確にさせる手段。

いろいろな気づきをくれる。

 

人に伝えるでも、文章をかくでも、どちらでもいい。と思う。

アウトプットはとてもたのしい。

 

 

 

気づきは風のようにフワッとその場を去ってしまうけれど

その気づきこそ、とても素敵な感覚で

「今」の自分を象徴するものだと感じる。

そうゆう瞬間が日々の中で多々あって

なんだか「感じる」ことと「それを変換する」ことが同時にできると

すごーくポジティブな記録をしているようで

とても楽しい。

 

もっと言葉で表現できるようになりたい。

 

 

感じるだけのかけがえのないもの

 

こんな寒い冬の日々でも

こもれびに助けられ

こもれびに顔と心を温められ

こもれびに感動し

 

ああ。。。幸せ。生きててよかった。。。
この幸せ逃したくない。離れないで。今よ続け!!永遠に。。。。!!!!

 

とヨガマットの上でゴロンとしながら感じる

 

 

感動して涙さえ流れる(どれだけ幸せ感度が低いんだっっ!!)

 

 

もし生まれ変わるとしたら

人体研究家か太陽研究家になりたい・・・

 

 

最近光が愛おしい

なぜかクリスマスから新たに始めたチャクラワークでも

木のイメージを持ちながらする瞑想があり、

その際、わたしから生える枝の周りには

葉っぱではなくたくさんの光が灯っていた。

「光」は今年のキーワードなのかもしれない。

 

 

まつげにかかる日の光があたたかくて

わたしの視界を幻想的に潤わせてくれる・・・

全身をまんべんなく幸せで満たしてくれる瞬間

 

 

こもれびの密かな幸せを味わえる人と一緒になりたい・・・・

 

 

「全部する」の覚悟

 

2018年は、

今までのヨーガティーチャーをはじめ

 

ダンサーになり、

司会者になり、

絵描きになり、

シンガーにもなり、

モデルにもなれました。

 

 

普通だったら懸念しそうな

「やりたいって思うこと、ぜんぶする」

ってゆうわたしの欲望に覚悟をしたら、

ぜんぶが叶った年でした。

 

同時に当初は「やりたいって思うこと、ぜんぶする」

はわたしのコンプレックスでもありました。

 

いろんなことに興味がある

は、

ひとつのことに特化していない

 

散乱していて、どれも中途半端

と勝手に自分の状態に×を付けていた。

 

 

当時にわたしには、「これ」とひとつに絞れて仕事をしていない状況に、

どこかコンプレックスをもっていたように思います。

ちなみに「覚悟」というのをもう少し噛み砕くと

「やりたい」という本当の気持ちに気づき、

まずはその気持ちを

「うんうん。そうか、そんな気持ちがあったんだね。いいじゃんいいじゃん。」

と自分で自分の話を聞いて上げるところからでした。

 

 

「モデルになりたい」

だなんて、その前に自分のカラダのマイナスポイントを次々あげて

「今できていない」理由にしてしまう方多数やと思います

でも、わたしはしたかったんです。

だからその気持ちを明らかにして、素直に向き合いました。

 

 

そうしたら

ファッションショーのモデルのお誘いがきたり

アートモデルとしての仕事も舞い込んできました

その2つとも、すんごーーーーーーーーーーーーーーーーーい楽しかった!!!

最高だった!!!!!!

 

 

覚悟。

そんな難しいことじゃないと思います。

心地よい場所で深呼吸して

穏やかな気持ちで「自分」と向き合うんです。

それにNOを出さないこと

ただ

「おお〜」

これを続けていくと

じぶんの本当の気持ちを探つてく作業もどんどん面白くなってくる

 

え〜こんな想いがあったの〜?!

え〜実はこれが好きだったの〜?!

え〜自分で自分の心せまくしてるやーん!!

・・・・・・

いやぁ〜〜〜しあわせしあわせ〜〜〜💝

 

 

っていろんなことが。

すると、それらの感情は最終的には感謝とゆうものに変わるんだけれど

見つめるっておもしろい

寄り添うってすごい安心感

 

2019年の状況の加速を感じています。

意思を明確に、大切に過ごそう。

 

 

 

 

 

きらい

 

男性の腰パン姿がイヤ

 

深夜0時以降の拘束がイヤ

 

攻撃的な態度をとる人がイヤ

 

朝食を食べろと強制されることがイヤ

 

肉を食べろと強要されることがイヤ

 

監視していないかのような態度でいて
実は監視されている状況がイヤ

 

 

 

苦手なものはあるけれど、
嫌いなものに焦点をあてたことが少なかったせいか
すごく考えないとでてこなかった

「きらい」とゆう言葉よりも
「好ましくない」の方が適切な感じ。

同じ意味のようで微妙なちがいだよ。

 

創造を「物」にした時その価値をお金に変換する思考

ファッション雑誌を見ていて

3万円とかそれ以上の金額の洋服たちが載っていると

「高い・・・・買えない・・・・でもとってもカワイイ」

が頭の中に広がっているのが通常だった。

 

けど

自分の丹精込めて描き上げた絵を販売するとなった時

わたしは

「5千円・・・・。いや、1万かな。
ちがう。無理無理。こんな時間をかけて気持ちを込めて描いたものをそんな値段で売れない・・・」

「じゃあ、ざくっと上げて3万?!いーや。それでもこのわたしにとっての傑作を3万だなんて!じゃあ、無限大(∞)とゆうことで88888円にしようかな?! 」

 

 

結局

「売ることができない」

がわたしの初めて自分の作品に値段をつけることになった時の答えだった。(今は違うよ)

 

そう思うと

今までファッション雑誌を見ていて(10代の頃から装苑が好きでした)

高くて手が出ない・・・

と金額だけ目にして判断していた時期があったけれど、

その作品を作り上げるまでに至ったデザインや細やかに思考されたディテール、

そして完成されるまでに縫ったりミシンかけたり補整したりetc

(わたしは専門家じゃないから他にもいっろーーーんな行程があるのだと思います)

そんなこんなな作業内容や時間や信念を持ち洋服を作っていることを考えると

わたしが一概に「高い」と思っていたその洋服たちは

本当は相応な値段だなって思う。

 

「販売する」とゆうことは

いずれ自分の身から離れていくとゆうこと

誰かの手に渡り、その人とともに生活していくことになる。

 

なんでも好きなものであれば、愛着が沸いてくる。

それが我が身から離れていくのは寂しいこと。

自分が想いをこめて作ったものは、言って見れば我が子同然。

じゃあ離れていく事にそ抵抗があったり嫌だと思うなら、

手元から話す必要なんてないし、ずっと側に置いていけばいい。

 

「お金に変換する必要があるのか?!」

究極それに行き着いてしまう。。。

これは作家さんや芸術家?さんで本気で大好きを仕事にしている人だったら頭によぎった事があるかもしれないね。

純粋の純粋に

「多くの人に手に取って現物を感じてもらいたい」があるのなら、

販売なんかせずにあげればいい。

だけど生活をしていく為にお金が必要な場面があって

だから自分の作品をお金と引き換えにする。

そうしてそれを好きな人が手に取り、わたしもお金をもらって、生活が安定したりする。

だからお金をとっていいんだ。

自分の中でOKがでていたらね。

 

それを自分が生み出した作品のお金に換算した場合の価値にしていいんだ。

それでいいんだ。

わたしもしたいことが色々とあって、

それは自給自足の生活では補えない事で

お金とゆうものが必要になるから

わたしの無我夢中になれることや好きと思えることの継続が

いい経済状態を生み

それが未来への肥やしの一部となり

豊かになっていく心とともに制作を続けていきたい。

 

その方がHAPPYだからね。

 

たまに浪費家だったり(ないのに!笑)、お金に無頓着になってしまうこともあり注意されるけれど

今回は

「値段を決める」=「私の価値をつける」

ことのわたしにとってのお金に対しての訓練だったと思う。

 

もうすぐわたしの子どもたちが出来上がってくる。

続々と。

またこちらやSNSでご報告させていただきます☆

 

中心を生きると

 

ヨーガはいつでもわたしを真ん中に戻してくれる。

今を生きることをサポートしてくれる。

ああ〜〜しあわせ!!!

どんな悩みが芽生えても、

ヨーガをする時間だけはそんなものがすっ飛んで薄れていく。

自分のどんよ〜りした世界に固着しすぎていたな

って気づかせてくれる。

 

偏っていた狭い世界の中から

パラダイムシフト

世界はわたしが創っているとゆうことに気づく。

 

気づきは風のように一瞬で過ぎ去ってしまうけど

気づきは偉大だ。

 

だからどんな日々でも

ちゃんと

「がんばったね」「よかったね」

って自分をほめてあげる。

 

だって自分の行いに悪意がなにひとつないんだもん。

わたしは

おっちょこちょいだし、テンポ早かったり遅かったり極端

けど、そんな自分に落ち込まない。

面白がってとことん楽しんでしまえ!

ってくらい余裕をもってわたしを遠くから見つめられるようになったら上等。

 

今いきる日々が心地よいです。

木々の微動もかわいいし、おひさまも温かくてしあわせ。

空だって本当に豊かなんだ。

この幸せは永遠で、それに気づけて

共有できる仲間たちと出会えた事を

永遠に祝福していきたいです。

 

 

 

 

すき

日だまりが好き

太陽が好き

月のあかりが大好き

「2人だけのヒミツ」が好き

自分の意見をしっかりと話せる女性が好き

頼りがいのある人が好き

光を浴びて心がふわぁ〜となっていく感覚が好き

両膝を立てて仰向けになって
深く息を吐いて超リラックスしている状態が好き

自家焙煎した珈琲の味が好き

畑で仰向けになって太陽の光を浴びることが好き

自分の描いた絵を眺めるのが好き

誰かが一生懸命話しているのを「うんうん」って笑って聞いているその空気が好き

自分の肌の透明感が好き

赤ちゃんが無条件に好き

赤と紫が交じったような色に光がところどころ灯っている
永遠の浮遊感を感じられるデコレーションが好き

ピアノの音が入って軽快なんだけど
時々ドラマを感じさせるような音楽が好き

前髪を切られている瞬間が極上に好き

お花を摘んで花束をつくるのが好き

誰かを想って手紙を書くのが好き

誰かの為に絵を描く事が好き

ヨーガの練習を夢中になってしている状況が好き

ヨーガを伝えている時間が大好き

マントラを平和な心で唱えられているという事実がいつでも歓び

ゴリラの出で立ちが好き

早朝の自分のマインドが好き

大好きな人と手を繋いでる瞬間がたまらなく好き

相性のいい音にであって自然と身体が動くのが好き

フォークとナイフを使って食事をするのが好き

地球儀を見て距離感を確かめるのが好き

過去の思い出が好き

自分のペースで歩いたり走ったりすることが好き

水色が多い空が好き

午後3時くらいの雰囲気が好き

カンパーニュをオリーブオイルと塩で食べることが好き

頬を樹木の幹にあてて冷たさを感じる事が好き

 

大好きな人たちと笑って過ごす時間が愛おしい

赤ん坊に触れておしゃべりしている時間が愛おしい

この身に起こる事全てが幸せのかたまり

愛おしい、尊い、

って感じるすべてのことは無条件に感じる「好き」からできてると思う

いつでも新鮮な愛おしさを感じたいから

わたしは旅をしているのかもしれない

 

好きであふれてる。

不定期なリズム

 

生理前は、

強くなったり、弱くなったりする。

重たくなったり、眠たくなったり、階段上がるのがきつかったり、

少し乱暴なじぶんになっちゃったり、

思考が⇩の方向になっちゃったり、

それらのバイオリズムは全然わかりにくく

人間のわたしは把握しづらかったりする

心地よいリズム感ではない

 

 

けど、

わたしは根源の部分に還っていける方法を知った

それはとても簡単なこと

すると、

いろんな事柄を愛しいと思えた

そんな心があることを幸せに思った

同時に

女性であることも嬉しく感じた

そんな今日だった