★喉を震わす私の至福

 

肌寒い時期になると
ヨガクラス終盤にするシャヴァアーサナ時に
ブランケットをかける

 

生徒さんが自分自身でかけるときもあれば
私自身がかけにいくときもある

 

 

より丁寧に
肌に優しく触れていくように

違和感のないように

シワが出来ていないか確認して

顎や顔に触れてる部分がないかとか

 

先生であるわたしは
慎重にそれらをする

 

 

私自身も先生にしてもらったことがあるけれど

 

その包見込まれてる感って
本当に心地がよくって
とってもやわらかくって
マットの上に全身が溶け込んでいくような感じ

 

そのあたたかさとともに
自分の身体が溶けていく感じ

 

 

こんな
「包み込まれてる感じ」
は誰にでも経験したことがあると思う

 

 

人に抱きしめられてる時や
お母さんにだっこしてもらってるとき

 

巻き戻りすぎれば
母さんのお腹にいるときなんて
まさにその感覚を感じまくってるよね

 

胎盤という毛布にやさしく包まれてたとき

 

 

だから誰でもこの感覚は

 

生きてると
どこかのタイミングで憶い出せるはず。

 

何かにまぎれちゃって忘れてるだけでね。

 

 

ただ上記にあげた例は
物質的なもので分かり易いと思うんだけど

 

今回はこれよ!!!

 

音でも包み込まれてるのって味わえるの。

私は彼女の歌声を聴くとね

声でヨガをしてる って感じる

 

 

言葉ひとつひとつが全て優しさが広がって
その余韻でさえ空気がキラキラとあったかい
じっくり自分をみつめてる声色

 

やわらかい
やわらかい
何かに包み込まれてる安心感

 

「愛してるよ」
って自分に言いたくなる(笑)

 

言ってる。

 

 

みなさんには
そんな瞬間最近ありますか?

 

学びは永遠

 

サンスクリット語の授業。

毎回超集中力を使ってる。

けれど、前回習ったことを忘れてしまうこともあるし、宿題を忘れてしまうこともある。

一見劣等生なわたし。

でも不思議なのは、大人になってからのこの授業は、中学や高校生の時に宿題を出された時の「やらなきゃ」がない。

なぜなら自分でそれを学ぶことを選択しているから。

大人になるって、自由でたのしい。

この時ばかりは脳みそフル回転させているから、このブログのタイトルのように”脳みそとろけたりしぼんだり”を繰り返してる。

それだからこそ堪能する良い脱力感と幸福感



この授業は、一つもアーサナをとることはないけれど、

カラダがいっぱい喜んでいるよ。

だから、わたしはマントラサンスクリット語の授業が大好きだ。

 


(同じものを好きで繋がった世代も職業もバラバラすぎるわたしたち)

もうRadhika先生は2日後にインドへ旅立つ。

しばらくこの授業はないけれど、また先生が帰国したら、インドのお土産話と、それまでに練習したサンスクリット語を見てもらうのと、ヴェーダンタ哲学のお話をきくのと、アーユルヴェーダの問診結果をきくんだ。(いっぱい過ぎ。笑)

切っても切り離せない、わたしの大好きなヨーガ。

マントラとサンスクリット語

これからの自分の学びとRadhika先生の活躍が楽しみです。

 

おわり。

3つのグナ(質)

今日のクラスではサンスクリットの書き方から、哲学の話になった。

この世界を形成するものには、3つの体質があるとされている。

サットヴァ・ラジャス・タマス

ヨガをしていると、よく耳にする言葉だと思うけれど、私たちは上のどの体質も持ち合わせています。

でも、今まで育った環境や、年齢、時間、季節によってバランスが異なる。

だから、誰一人同じ人はいない。

けれどそれぞれが選択し、過ごす環境や接する人によって、それぞれのグナが入り混じっていく。

私はこれらグナの特質を、今まで人の性質だけに当てはめて考えていた。

けれど、今回先生の話を聞くと、人間の性質だけではなく、世界を形成するものに何でも当てはまるみたい。

例えばタマスの性質なら、岩。

ラジャスは行動的なものだから・・・

サットヴァは純粋なもの。人間。



宇宙規模で言うと、人間はサットヴァに部類されることになんだか嬉しさを感じた。

まだまだ人間として希望はありそう。

何かに感動できることや、仲間と分かち合える智慧、

それら感情や感覚こそ、大いなる宇宙からのプレゼントだな〜とつくづく感じる。

グナのそれぞれの性質を、うまく使っていきたいものです。

一番好きなヨーガ

 

今夜もマントラ・サンスクリット語のクラスが終わった。

揖保川町に住んでるRadhika先生のおうちで月2回開催している。

わたしがこのクラスに参加した動機は、キールタンからだった。

キールタンはありのままに心の声でうたっていく。

それがとっても幸せ感を味わえるし、何よりも周りの波動と共鳴して、エネルギーが高まっていく感じが最強だ。

でも、キールタンを楽しんでいる中で、

「わたしが発した言葉たち、この発音で合っているのかな?」
「微妙に言い回しやイントネーションが違っていないのかな?」

キールタンは、すごく素敵な内容をうたっているし、最高に気持ちがいい。

でも発していくなら、発していくひとつひとつの言葉に敬意を込めたいし、ちゃんと意味も理解した上でチャンティングしたい。

という想いが芽生え、キールタンの元になっているサンスクリット語の勉強することになりました。

そこから運良くRadhika先生がマントラとサンスクリット語の授業をスタートするというバッチリな幸運に恵まれ、クラスに通い始めることに。

月に2回のクラス。

風情のある古民家、広いお座敷のお部屋、この時点でバッチリな環境。

緊張感0の状態で、自由に「学ぶ」ができるこのクラスは、わたしにとって最高に魅力的な学び場なのだ。

 


(少し難しい文法にも突入した)

 

正解を求められるわけではないし、できなくちゃいけない、がないってこんなにも気持ちがいいんだ。

ただただ丁寧に気持ちよくマントラを味わいたい人たちが集まった場所だから、自然といい波動で空間が埋め尽くされていく。

マントラやサンスクリット語の文法などはもちろん、それから派生してヨガ哲学のお話など、この場所で本当に色々なことを学びました。

哲学については、心の在り方や宇宙の原理についてなども教わりました。

ひとつの話題についてみんなとディスカッションすると、それぞれの感じ方や思考の違いにカルチャーショックを受けたことも。

参加しているみんなが、違った環境を生きてきて、職も違えば、年齢も違う

だから、日々の生活の中で感じていることや、価値観はバラバラで、意見にも差異がある。

だからこそ視野をひろくもつ事が出来るし、性質はみんな違うのだ、ということが実感できる。

みんながヴェーダ聖典という知恵のある教えを元に、 ちゃんと「ここ」に戻って来れるの。

本当にすばらしい平安の時間。





サンスクリット語は、日本語よりすごい精密なのではないかな。

天秤にかけるわけではないけど、 「こっちの方が美しいから。心地よく響くから」という感性の元に、言葉の節々の言い方を通常と変化させていることもある。

それがまた、本当に言葉が軽くゆるやかに発声しやすくなっているように感じる。

そうやって口をならしたり、発声していくと、自分の体を操っているような感覚にもなってくる。

まさに、知る⇒実践 を体感できる。




自分の体の性質を知る事は、宇宙を知ることになる(元素はみな同じだからね)

粗大なもののなかに見え隠れしている微細な粒子の集まり。

今を生きている私たちがまさにそう。

だから、隣りにいてくれる人や、今までの様々な出会いは、素粒子が共鳴して距離が縮まり出会っているんだよ〜

すごいよね、当たり前のことと思いがちだけれど、このすばらしさは感動ものだよ〜





マントラとサンスクリット語を深めていく旅、心地よい波動につつまれて、 本当にこのクラスに通えてよかった。

あと3回、大切に過ごそうと思います。

 

▼クラスの詳細はこちら▼
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YOGA FARM〜Peace od mind〜
たつの市揖保川町市場462

マントラ

最近のお気に入りのマントラは、習いたてのヴィシュヌのマントラ。
ヴィシュヌ・サハスラナーマの序章第1節。
学習のはじめに唱えるものです。
このマントラは、ひとつ前に習ったサラスワティの音階にとてもよく似ているからすごく身体に入りやすかった。

shukla ambara dharam vishnum
shashi varnam chatur bhujam
prasanna vadanam dhyAyet
sarva vighnopa shAntaye

わたしはこの音階が好き。
マントラは音の響きを大切にしている。それに合わせて発音の仕方が少し変わったりすることもあるというから、本当に微細な部分にまで意識を運んで、心地よさを追究しているんだな〜と感じる。
口の開き具合や、下の巻き方や置き方、その些細な違いで、言葉の響きや聞こえに差がある。
これは自分たちが歌っていても、すごく感じる。
マントラを正しく発音しとなえることで、波動がグワーっと広がり、その波動は世界をやわらかく変えてしまうようなエネルギーを持っているように思う。

となえた後の、静けさ、余韻、ほっとする感覚。

心が整う朝を迎えられるのも、幸せで体中が満タンになっているのを感じられるのも、もしかしたら昨夜の授業のせいかも。

マントラは、ヴェーダ(インドの聖典)の中に書かれている内容をうたったものだから、沢山の種類がある。
少しずつ知って、ひとつずつ大切にこれからも歌っていきたい。

瞑想の本質

 

今夜はマントラとサンスクリット語の授業を受けにYOGA FARMへ。

サンスクリット語の子音の読み書きの練習の中で「japah(ジャパ)」という単語が出てきてみんなでジャパ瞑想をした。

ジャパ瞑想とは、繰り返しマントラを唱えて行う瞑想法です。

そこで発生する音のエネルギーがじんわりと空間に広がっていって、意識と溶け合う感覚が最高に至福な気持にさせてくれる。

Om ganesha ya namah:

というマントラをRadhika先生が教えてくれた。

その関連で、瞑想について

瞑想ー3つの行い方

①カーイカ・カルマ(声・動作)
⇒祈りの儀式(プージャ)

②ヴァーチカ・カルマ(声)
⇒マントラを声に出して唱える

③マーナサ・カルマ(考え)
⇒考えの中でマントラ・プージャ

 

全然知らなかった。

たまに生徒さんから「瞑想って難しそう」って言われると、

「難しいことはないですよ。瞳を閉じて、ふかーく呼吸を繰り返していればOK」

なんて言っていたけれど、もっと奥が深かった。

「上記のことを本当は知ってもらいたいと思ってる」とRadhika先生に言ったら、

「現代の人の多くは顕在意識下で「痩せたい」とか「したい」というモークシャ(目的)があってヨガスタジオへ通う人が多いから、そのそれぞれのモークシャを満たしてあげて、そこから興味があればこちらの方をお伝えしてあげる。それでいいんじゃないかな。」

そうかそうか。

私が今まで今おこなっているものを対象として無理に
そんな現状に、

自分がやるべきことだけに固着しないで、現状と今関わっていることもってもれば絶妙なタイミングでご縁があってのものだと思う。

なんだかんだで最近のモヤモヤは、あっとゆう間に解決された。