ストレスフリーの継続は最高のよろこびなり。

 

チェンマイに来てから一ヶ月経ちます。

なんの計画なしに不思議とはじまった早朝オンラインヨガレッスン。

自分ではビックリなことで

一度も休むことなく毎日レッスン動画を撮っています。

朝の6:30に(笑)

一応こんなわたしのレッスンでも

「見たい!受けたい!」

と言ってくれる人たちがいるので

その人たちの為だけを考えて❤

タイ時間6:30スタート。

日本時間だと8:30になります。

 

https://www.instagram.com/oshidayuki/

↑アカウントはこれだよ。

 

 

ただ、

多くのインスタグラマーが投稿してるお洒落感は1mmもありません。

レッスン中に感じたことがあれば呼吸中でも言葉を発してしまったり

立ちポーズの時は肩より上が切れてるし

座位の詳細が分からないカメラワークだったり

シャヴァアーサナ中にクネクネしたり

小話挟んでみたり

しまいには画質がとっても荒い!

ほんまにどうしようもない(と自分では感じている)

 

けれど一切制限をかけずに行うこのレッスンが

とってもナチュラルで心地よいのです。

 

最後の瞑想中はほんまにそのとき降りてきた言葉を

支離滅裂ながら並べて言う

思考することなく、私がその瞬間に浮かんだことを言葉にする

とめない、

抑えない、

思考しすぎない、

に忠実に瞑想誘導はしています。

 

自分の内側と向き合う時間を作ることで

しっかりと向き合い

その方法として瞑想はとても有益だと感じているので

取り組んだ人がいかに瞑想を深く行えるか

とか考えながら一緒に静の時間を過ごし

 

時にビジュアライズ

時にサイレント

時に自問自答タイム

など瞑想を楽しんでいます。

 

きっと特別なトラブルがない限り続いて行くだろうオンラインヨガレッスン。

もしご都合合えばぜひご参加してみてくださいませね☺

室内ですることが多いから異国感は感じづらいかもしれないけど

私が他国で感じた空気感とともに

何かしらをシェアできたら幸いです。

 

https://www.instagram.com/oshidayuki/

↑アカウントはこれだよ。

癒しのルーティン

 

最近日々のルーティン化しているグロッケンシュピールの演奏

グロッケンシュピール⇩

 

ふと思い出したけれど

生まれて初めて演奏した楽器も鉄琴だった。

幼稚園のお遊戯会で人前で初めて合奏したとき担当したのが鉄琴。

 

 

時を経て今のわたしとも巡り会ってくれて

夢中で自分の曲をかけながら弾いてます。

グロッケンシュピール、かなりヒーリング効果の高い音色。

 

先週ギターのグリフ君と路上ライブしてたら

飲み上がりの楽器マニアのおっちゃんからグロッケンに興味をもって話しかけられた。

よくよく話せば音楽学校で先生で音響を教えてる方。

話がマニアックすぎて思い返すと笑えるんだけれど(そのおっちゃんは人間ん以上の長さがあるリコーダーが大好きとのこと)

路上で鉄琴は珍しかったみたい。

 

 

毎朝起きてから

ヨガプラクティス

グロッケンを奏でる

瞑想

自作の絵を眺めて自己満足感に浸る

 

が最近のルーティン

楽器奏でた後は瞑想にも入りやすすぎて

身体で感じる世界観と安堵感が半端なく強い。

 

素敵な余韻のある楽器と出逢えてとっても幸せ。

自分だけの楽しみもいいけれど

海外行く前にどこかで披露できたら尚いいな〜

と夢が増えました☆

 

 

 

目を閉じれば

そこにひろがる世界は現実だということを実感する

 

その世界は自分が創れるということ

その世界は自分が創り出しているということ

 

長く意識的に見つめれば見つめるほど

知る

 

 

もうなにも必要がない

 

この呼吸がある、感じられる瞬間を積み重ねる度に

何かが直線的に抜けていく

全身の風穴がひろくなっていることを実感する

 

満たされ尽くされてる事実に

って涙があふれる

 

 

御無沙汰瞑想記録

 

眉間らへんがすごく力んでいる事に気づいたら

状態は少し前のめりになっていて

骨盤が安定していない事に気づく。

 

少し身体を後ろにのせて

骨盤の上に上半身が乗ってる安堵感を確認。

 

ちょっとした意識の運び方で

安定感が変わっていく。

 

 

最近の瞑想はほどよく深い。

みるみるうちに内側に入ってひろーい世界を見ていく。

目を閉じると全てに境界線がないことに気づく。

第三の目で海の向こうまでひろーーーく繋がっている景色が見えた。

感動的で光で溢れてる。

 

感動は深呼吸で後頭部の方から背骨を通して

尾てい骨の方まで流していく。

この呼吸が芯からリラックスを与えてくれる。

 

その証拠に右目から至福と安堵の涙・・・

 

ああああーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

 

どこまでも幸せーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!

深々瞑想

 

今日の瞑想は些細な焦りもその他深い感動もなく

ただ当たり前のようにすっきりと座っていられた。

お日様が部屋に入ってきてくれるおかげで

本当にずっしりと身体と心がここにある

ってゆう実感ができている

 

あったかくて

もう全てが完了していることに気づく。

瞑想していても

しているつもりになっていて

意識が完全に身体の外側にむいていることもある

 

でも、

「ここ、ここ」と

すーっと意識をわたしの肉体へ戻していく瞬間

「そうそうここだったね」

と思い出す事ができる。

 

 

この感覚は

本当に今を生きている。

なぁーんもいらない。

 

 

今日の夕日もキレイだった。

 

ありがとう。

ここ最近の瞑想

久しぶりに今日の瞑想について。

2017年に入ってからはヴィパサナーのような鼻腔への意識を運ぶ瞑想はしていなくて、ボディを越えて、その周りに広がる世界を見つめています。
そこから自分の夢をビジュアライズするときもあるし、心地よさとともにただ呼吸を繰り返します。
私の最近のお気に入りは、意識を松果体の方(第三の目のさらに奥の脳みその中央あたり)へと注ぎ、吸う息で子宮のあたりから息をいれこみ、お腹、胸ノドを通り脳みそのほうへと運ぶ。吐く息では松果体から背骨の方を通り、骨盤へと降りていく。
これはすごく安定を感じられて、爽やかです。

途中でホ・オポノポのを導入する時もあります。
どこからか「感謝中毒野郎」などとののしられそうですが、それら発言をとびこえるくらい、私は瞑想中”感謝”と”愛してる”で満たされます。
それらがとまらなくなります。
そして身体がうれしがって、喜び状態になっているのも感じ取ります。

今日は何かが始まっているのを感じて
たくさんの息吹とともに、私も生命体のひとつとして芽吹いていることを感じました。
よろこびの涙は雨を浴びて潤ったみずみずしさのようだし、一番の純正なわたしという生き物です。

 

ぜんぶぜんぶありがとう。

キラキラ瞑想

 

チャクラワークも第6チャクラ(アジュナチャクラ)へ突入した。

そのワークの一つに「本能を超える呼吸法」っていうのがある。

意識をアジュナチャクラ(眉間のさらに奥の方。脳)へと集中させて、深呼吸を繰り返していくんだけど、+αでアジュナチャクラへ光が入ってくるのをイメージするもの。

わたしは今この瞑想法が一番しっくりきている。

「光」のイメージって人それぞれだと思うけど、私の場合は日によって光の流れ方が違う。

銀河のようにサラサラサラーーーーっとスピード感溢れて出入りするものもあれば、

漫画の「✨」のような光がそよ風に運ばれるように入り込んでくるもの、

この呼吸法を繰り返したあと、その取り込んだり出したりしている「光」たちが肉体に宝石のように積もって体の内側からも外側からもキラキラのオーラを放っているような感覚になる。

本当に至福の感覚。

その後にじっくりと行う瞑想が最強にすばらしくって、いくらでもそこに座って瞑想し続けられるくらい幸福感でいっぱになる。

自分たちが求めているものは、現象自体なのではなく、求める現象が起きたときに感じる「至福」という感情だということに気づく。
(人によっては「幸せ」「気持ちいい」「快楽」「最高」)

 

 

全部の夢が叶う。と勇気をくれる。

何があっても迷いや不安がなく「YES」と大きな存在が返答してくれる。

ビジュアライズした自分の楽園を、現実へと繋いでくれる道を作ってくれているような状態。

私はこの瞑想を「キラキラ瞑想」と名付けることにした。

やっぱり幸せって、外側じゃない、ちゃんと「ここ」にある。

この時間が大大大好き!

 

Dhamma

 

朝の沈黙が美しくって、この静けさが大好き。

本当にしあわせな瞬間だと思う。

たった5分〜10分の間に、私の宇宙の中にたくさんの豊かな源流が溢れ出てくる。

それをただ味わう。

 

 

わたしとは、大きな宇宙である。

ダンマに従うことは、この世の摂理に違和感なく接しているということ。

どこにいてもちゃんと体感できるこのカラダ。

有り難さでいっぱいだ♥

meditation

今日の瞑想はたったの5分だったけど、とてもいいものだった。

瞑想をすると目をあけて新鮮なやわらかい景色があらわれる。

そして、とっても幸せな気持ちになる。

この感覚が大好き。

 

 

瞑想がだいすき。

ただ気持ちよくって、ただいることがしあわせ。

ほんわり、ふかふかな意識。

 

地球にアースする

 

ただ在ることに気づく

思考は自由であると知る

不自然なことはこの身に何もないということ

だからそのまんまでいたらいい

 

両方の座骨が地面と接地して、ぐーーっと根付いていく

地面と皮膚の境目がなくなったかのように地面からわたしの身体を真っすぐに身体の中心を突き抜けていく。

きっとこれがチャクラの通り道なんだろう。

 

 

スシュムナー

 

この感覚、余韻

なんにも支配されることないありのままの姿

とびらはもう開いているから、あとは明け渡して歩いてゆくだけ。