御無沙汰瞑想記録

 

眉間らへんがすごく力んでいる事に気づいたら

状態は少し前のめりになっていて

骨盤が安定していない事に気づく。

 

少し身体を後ろにのせて

骨盤の上に上半身が乗ってる安堵感を確認。

 

ちょっとした意識の運び方で

安定感が変わっていく。

 

 

最近の瞑想はほどよく深い。

みるみるうちに内側に入ってひろーい世界を見ていく。

目を閉じると全てに境界線がないことに気づく。

第三の目で海の向こうまでひろーーーく繋がっている景色が見えた。

感動的で光で溢れてる。

 

感動は深呼吸で後頭部の方から背骨を通して

尾てい骨の方まで流していく。

この呼吸が芯からリラックスを与えてくれる。

 

その証拠に右目から至福と安堵の涙・・・

 

ああああーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

 

どこまでも幸せーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!

深々瞑想

 

今日の瞑想は些細な焦りもその他深い感動もなく

ただ当たり前のようにすっきりと座っていられた。

お日様が部屋に入ってきてくれるおかげで

本当にずっしりと身体と心がここにある

ってゆう実感ができている

 

あったかくて

もう全てが完了していることに気づく。

瞑想していても

しているつもりになっていて

意識が完全に身体の外側にむいていることもある

 

でも、

「ここ、ここ」と

すーっと意識をわたしの肉体へ戻していく瞬間

「そうそうここだったね」

と思い出す事ができる。

 

 

この感覚は

本当に今を生きている。

なぁーんもいらない。

 

 

今日の夕日もキレイだった。

 

ありがとう。

ここ最近の瞑想

久しぶりに今日の瞑想について。

2017年に入ってからはヴィパサナーのような鼻腔への意識を運ぶ瞑想はしていなくて、ボディを越えて、その周りに広がる世界を見つめています。
そこから自分の夢をビジュアライズするときもあるし、心地よさとともにただ呼吸を繰り返します。
私の最近のお気に入りは、意識を松果体の方(第三の目のさらに奥の脳みその中央あたり)へと注ぎ、吸う息で子宮のあたりから息をいれこみ、お腹、胸ノドを通り脳みそのほうへと運ぶ。吐く息では松果体から背骨の方を通り、骨盤へと降りていく。
これはすごく安定を感じられて、爽やかです。

途中でホ・オポノポのを導入する時もあります。
どこからか「感謝中毒野郎」などとののしられそうですが、それら発言をとびこえるくらい、私は瞑想中”感謝”と”愛してる”で満たされます。
それらがとまらなくなります。
そして身体がうれしがって、喜び状態になっているのも感じ取ります。

今日は何かが始まっているのを感じて
たくさんの息吹とともに、私も生命体のひとつとして芽吹いていることを感じました。
よろこびの涙は雨を浴びて潤ったみずみずしさのようだし、一番の純正なわたしという生き物です。

 

ぜんぶぜんぶありがとう。

キラキラ瞑想

 

チャクラワークも第6チャクラ(アジュナチャクラ)へ突入した。

そのワークの一つに「本能を超える呼吸法」っていうのがある。

意識をアジュナチャクラ(眉間のさらに奥の方。脳)へと集中させて、深呼吸を繰り返していくんだけど、+αでアジュナチャクラへ光が入ってくるのをイメージするもの。

わたしは今この瞑想法が一番しっくりきている。

「光」のイメージって人それぞれだと思うけど、私の場合は日によって光の流れ方が違う。

銀河のようにサラサラサラーーーーっとスピード感溢れて出入りするものもあれば、

漫画の「✨」のような光がそよ風に運ばれるように入り込んでくるもの、

この呼吸法を繰り返したあと、その取り込んだり出したりしている「光」たちが肉体に宝石のように積もって体の内側からも外側からもキラキラのオーラを放っているような感覚になる。

本当に至福の感覚。

その後にじっくりと行う瞑想が最強にすばらしくって、いくらでもそこに座って瞑想し続けられるくらい幸福感でいっぱになる。

自分たちが求めているものは、現象自体なのではなく、求める現象が起きたときに感じる「至福」という感情だということに気づく。
(人によっては「幸せ」「気持ちいい」「快楽」「最高」)

 

 

全部の夢が叶う。と勇気をくれる。

何があっても迷いや不安がなく「YES」と大きな存在が返答してくれる。

ビジュアライズした自分の楽園を、現実へと繋いでくれる道を作ってくれているような状態。

私はこの瞑想を「キラキラ瞑想」と名付けることにした。

やっぱり幸せって、外側じゃない、ちゃんと「ここ」にある。

この時間が大大大好き!

 

Dhamma

 

朝の沈黙が美しくって、この静けさが大好き。

本当にしあわせな瞬間だと思う。

たった5分〜10分の間に、私の宇宙の中にたくさんの豊かな源流が溢れ出てくる。

それをただ味わう。

 

 

わたしとは、大きな宇宙である。

ダンマに従うことは、この世の摂理に違和感なく接しているということ。

どこにいてもちゃんと体感できるこのカラダ。

有り難さでいっぱいだ♥

meditation

今日の瞑想はたったの5分だったけど、とてもいいものだった。

瞑想をすると目をあけて新鮮なやわらかい景色があらわれる。

そして、とっても幸せな気持ちになる。

この感覚が大好き。

 

 

瞑想がだいすき。

ただ気持ちよくって、ただいることがしあわせ。

ほんわり、ふかふかな意識。

 

地球にアースする

 

ただ在ることに気づく

思考は自由であると知る

不自然なことはこの身に何もないということ

だからそのまんまでいたらいい

 

両方の座骨が地面と接地して、ぐーーっと根付いていく

地面と皮膚の境目がなくなったかのように地面からわたしの身体を真っすぐに身体の中心を突き抜けていく。

きっとこれがチャクラの通り道なんだろう。

 

 

スシュムナー

 

この感覚、余韻

なんにも支配されることないありのままの姿

とびらはもう開いているから、あとは明け渡して歩いてゆくだけ。

やっとやっと気づけた出会えた

 

やっとたどり着いた

気づけた

こんなに近くにあったのに、気づけなかった

自分で気づかないうちに、他の「好き」な何かで覆ってた

でも昨日、腹の底のもーっと下の方から、ちゃーんと出てきた

「わたしは《踊り》をしたかった」

それを選択してよかった

誰も否定も肯定もないはずなのに、

自分で本当の気持ちを見つけられないで、判断していた。

=なにかと比べていた ということ





今日は生まれて初めてクンダリーニ瞑想をした。

ものすごくアクティブな動きから静寂へと変化していく。

それは見た目の身体だけではなく、マインドへの影響をもたらした。

そこから沸き上がって生まれたこの気持ちに気づけた今日は

最高のハッピーバースデーだ。

 

大切にしていこう。

4/29 meditation

5:45~6:00
背骨を丸めてみたり、頭の重さを感じてみたり、そんな動きをしていた。
なぜなら、「真っすぐでなければいい感覚が味わえない」という概念が自然と入り込んでいるように感じたからだ。すると、脳みそも身体も緊張感が走ってしまうような気がして、今日はゆるめて、「動いてもいい」と身体に伝え自然な状態で行った。
眼球も途中で動かし、バランスを整えようとする行為をいくつかしていた。
呼吸は違和感なくスムーズ。そしてここでも「深く細く」などの意識はなくして行った。あくまで自然に。
今日して思ったのは、「ありのまま」「しぜん」という状態を忘れがちになっていたこと。バランスを調整するのはとても良いことだと思うが、良いという状態に相応しくない時、そうしようとする過程に付随する思考に「これがベスト」と理想型をはめ込んでいるような気がしたから。
「そうならなくても、そのままでもいいんだよ」という自然体でいられたら、もしかしたらそれが今の私の「いい状態」なのかな、と。
そんなこんなで、身体感覚ではまだ7分くらいかなで目を開けたが、そうしようとしていた6:00に目を開けた。今の自分に合っている瞑想時間だと思う。
微細になりすぎて、今の状態を「受け入れる」ことをしていなかったように思う最近の瞑想だったが(「整えよう」に比重がのっていた)
また発見の繰り返しで、太陽の日差しも有り難く
こうして静けさとともにあれる心に感謝した。

4/28 meditation

7:13〜7:30
ちょっとだけ肌寒い。首巻きをして瞑想開始。
太陽に向いていた体勢を反対側へと変えた。背中に光をあてた。
自然と右側の前頭葉くらいからジワジワ〜っとエネルギーが降りてきたので、そのまま身体の方へと向かう感覚を確かめながらの瞑想だった。いつも右の頭からエネルギーが降りてくる。
右の額から、ゆっくりと水(エネルギー)がじんわり紙(身体)に滲んでいくような感覚で下の方へと降りていった。右瞼をつたい頬の上の方に達したところらへんで、左の目の上らへんからもエネルギーが降りてきた。本当にささやかな感覚なので「もっとエネルギーの圧を強くさせて左側を強く感じたい」という意識が少し働いてしまったようにも思う。それぞれ輪郭を辿り、顎までいったら首の方へ降りてくるかとおもったけれど、そこは通過せずに右肩へと映っていった。ここはゆっくりじんわりと肩、腕、肘、腕、手の方へと移動していった。やはり左腕は感じずらく自主的に移動させているような感じになった。
胸の方に移動させたかったが、久しぶりのエネルギーの移動だったからか、今日は自然とココまでになった。上半身前側よりも、背中の方が意識がおりやすいような感覚を味わった。(単純に面積が広いからなのか?!)
本日は瞑想中盤で瞼の中で映像を見ていた。これは身体感覚ではだいたい1/3時間。色は白い光と紫色。家から外側へと光を放つような映像で、その2色がずっと動いていた。少しサイケデリックな映像ではあったが、ずっと観察することができた。瞼の裏って面白い。いつか絵に描いてみようと思う。
今日は背骨や骨盤周りの違和感は一切なし。身体は「通常」だった。肩まわりが細胞がひしめき合っている詰まっている感はあるが、それがこりや違和感にあたることなく、自然な感じ。
目を開ける時は、呼吸に合わせて丁寧に、ゆつくり、同じ軌跡を通りながら開けようとしていた。よりそこに漂う空気と馴染んで、自分の呼吸と呼応するように。上まぶたの際の線が優しく上下にゆっくりと動く感覚は、新しい線が生まれるようで美しい瞬間を味わっていると感じた。

memo:お腹周りが緩まっている状態が必須。今日はタイツ(しかも断熱素材の化学繊維。涙)で行ったため、多分意識的ではないがどこか気になっていたと思う。身体が喜ぶような、安心できるような素材での呼吸がベスト。
ヴィパサナ瞑想思い出した。