やっと〈ヨガムドラ〉

 

やっと腰が動きました。

3年前、インドのナレンドラ・モディ首相が、6/21を国際ヨガの日と制定してくれました。

http://aun-yoga.com/yogaday_modi/

わたしはちょうどヨガスクールOYGに務めていたので、わたしたちもこの日を盛大に盛り上げよう!ということで「YOGA MUDRA」という世界規模のイベントを企画しました。

それから3年目の今年。

色々な自身の思いや性質から、私が毎年担当させてもらっている姫路は小規模で開催することを決め、準備が進んでいます。

といっても、去年に比べ出店者の数は20分の1となり、ヨガ講師もわたし一人。

ワークショップなどもないので、準備といっても、フェイスブックページを作成したり、参加申込の応対など、やることは限られています。あとは心を整えるくらいかな。

これらはわたしが出した、ヨガとの向き合い方。一番最適なスタンスだと思っています。

 

一番このイベントの主旨を理解し実践できる状態

来場者をわたし自身の目でみて、大切にできる状態

 

もちろんより多くの方にヨガの素晴らしさを味わってもらえることや、世界で起きている問題に目を向けてもらうことは、「知る」とう大きな学びや喜びの共有になるし、わたし自身も幸せな気持になる。

だけれど、それを実践するときに、まずはわたし自身がヨガを楽しんで、参加者と目を見て、笑顔で心を交わすこと。伝えようとすること。

そういう瞬間の積み重ねがとても大切だと思ったのです。

受け取り方は人それぞれだけど、そんな風にして今回のヨガムドラを開催したいと思っています。

 

すごく気持ちよく開催ができそう。

もうすぐ情報公開されますので、ぜひ楽しみに待っていてくださいね^^


★2015年yogamudraの一コマ

いつでもどこかに

 

いつでもどこかに飛び立ちたいと思っている。

そこに何の不安も恐れもない。

だってどこにいたって、この世界はひとつだから。

海も風も山も大地も全部繋がっているから。

ただ、平穏に暮らす時間の中で、タイミングを潜在的に見計らっているみたい。

それは、「仕事を辞めるから」とか「結婚を期に」とか

そういった物理的な理由じゃなくって、もっと風に飲まれるような、ふわ〜っと虹色の風に身体ごと自然に便乗してしまうような感じ。

求めることは悪いことじゃない。

 

世界は完璧だ。

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摂食障害について②

 

①で摂食障害の原因について探ってきましたが、それが29才になり、行為をする要因が変わっていることに気づきました。

私、約30年間「寂しい」という感情を抱いたことがないのです。(そう感じたとしても一瞬で忘れるくらいの消える程度のもの)

在る意味、両親や親戚、友人や恋人などに恵まれてきたと言えるでしょう。

ですが、25才で実家を出て一人暮らしを始めてから今年で5年目。

旅の途中で出逢った人との再会や、仕事などで県外へ行く機会が何度かありました。

新しい出会いに恵まれたり、かけがえのない時間を過ごした日々。

にぎやかで同世代の人とコミュニケートする楽しさを味わい、本当に幸せだな〜と感じる瞬間が多々あって、「時よとまれ!」って何度も心の中でそう願いました。

丁寧に物事をみつめていたくて、自分の意志で田舎に越してきて、基本一人行動をしているのが当たり前だったけれど、

離れた瞬間に、ものすごい「寂しい」という気持が私の身体の中にやってきました。生まれてこの方感じた覚えがない私がです。

それでなのか、原因ははっきりとはしませんが、その寂しさを埋める為のチューイングという行為に変わったような気がしています。

寂しくてどうしようもなくて、今にもどうにかなりそう!!!っていう激しい衝動は全くないのですが、なんで今もこうやってしてしまうんだろう、、、と考えた時に思い浮かんだのが、上記の事柄でした。(本当にどうかは分からないけどね)

この「何かわからないもの」を、今まではすんなりと受け入れ流してこれたのですが、だんだんと「分からなくてもいい」から「知りたい」に変わってきました。

でも自分だけの判断では、どうしたらいいかなんて出せなかったので、

今まで何度か行こうと試みていた、心療内科にお世話になることになりました。
(これを後押ししてくれたのは、ヨガの生徒さん。本当に心強かったです。ありがとう。)

診療してもらったからって、何がどう変わったかといったら何も言えないのですが、きっと私は自分がどういう状況なのか誰かに教えて欲しかったんだと思います。名前をつけてほしかった。

通院期間中は、特に日常に変化はないし、期待することも失望することも何もありませんでした。

でも自分のことを今までの人生でじっくり探ったり、確かめるという行為をしてこなかった私にとって、相手から客観的にものを伝えてもらったりすることはいいキッカケになったように思います。

本当に直感で生きてきて、感情表現をしてきた私。

「自分と向き合う」って世に溢れる言葉だけれど、大人になった今、やっとそれをしている最中なんだと思います。

なにせ自分の好きなそんな思考回路すらなかったんです。

みんながガハハハと声をあわせて爆笑している事柄も、何がおもしろいのか分からなくて一人ポカーン。

ディズニー好きの女子たちの「何のキャラクターが好き?」の質問に、困惑しかできなかった。

人から攻められると、ただただ焦って、論理的に物事を考え整理することができなかった。

だから、丁寧に、今の自分の気持とか、性質とか、そういうの向き合って、ちゃんと知ってあげる。これをする為に、今ここに居て、こういう幸せな経験をさせてもらっているんだな〜と、改めて思いました。

そうしてさらに、私は誰になるのではなく、私そのまんまでOK

そうすることで喜んでくれる人がいるということにも気づけました。

「摂食障害」なんて書くと、少し重たいようなイメージがあるかもしれないけれど、「ちょっと心のバランス崩して食が乱れちゃった人」って書いたら、ポップだし、たまたま私から出た行為がこれだっただけ。

摂食障害の要因は人それぞれだけど、しないにこしたことはないから(だってお金減るもん)、ゆっくりと向き合って、ひとつひとつの判断を大切に、時には流れに身を任せて歩んでいきたいと思います。

とはいえども、私はとーっても愛されていて、最高に超ハッピーーーーです♡

 

おーーーーーわり!

 

 

摂食障害について①

 

ここ数年摂食障害を抱えている。

私の場合は、過食拒食ではなく”チューイング”。口の中に物を含ませて、噛んでは吐き出すの繰り返し。

ヒドい時には夜中おさまることを知らず、コンビニで業務用のアイスを買って家に持ち帰りチューイング。

アイスが無くなると、自転車でまた別のコンビニを探して食パンを買っては持ち帰りチューイングを繰り返す。そしてまた自転車で別のコンビニへ・・・

止めたいのに止められなくて、泣きながらそんな行為を繰り返してました。

初期は、仕事のストレスからか、週1回車の中で一度行う程度でした。

だから、そこまで深刻に捉えていなかったのですが、数年後にはほぼ毎日行うようになり、歯止めが利かなくなり、人と一緒にいても、相手の目をうかがいながら、見られない様にして袋に吐き出すようにまでなってしまいました。

あぶないあぶない・・・と思いながらも、気づかれているかもという不安より、それをしないとなんだか気持が治まらなくて、クセのようになってしまっていたのです。

そんな自分を自分が責めていては、心もボロボロになってしまうと感じ、その行為をしてしまうことを自分の中では「あ〜あ、やっちゃった」と、客観的に捉え、否定しないことにしていました。

でもそんなことをしていると、もちろんお金もドンっと減っていくし、口に入れた物は口腔内の粘膜を通り、胃に吸収はされているので、体型も変なやせ形になり、歯もボロボロ、心までスカスカになっていたように思います。

こんなことになってしまった原因はなんだったのかな〜と探ってみると、その一つに当時していた仕事のストレスがあったように思います。

26才でその仕事に就くまで、一度も社会人になったことはありませんでした。(アルバイトはいろーんなものをしてました)

だから社会で身に付けた「標準」「一般的」といった基盤となるものが自分の中にはなかったのです。

その為、どんな指示を与えられたとしても、自分にとって頼りにするキャリアなんて一切なく、言われた通りにすることすらままらなくて(右脳しか作用しない人の特徴かも・・・)「効率的」「応用力」という言葉とはほど遠い人材でした。

(今思えば、私に声をかけてくれた会社の社長さんは、本当に器の広いすばらしい人だなぁと思います。)

困惑して追われまくっている自分にすら気づかず、「出来ません」「無理です」「手伝ってください」という言葉すら頭になかった当時。

時には仕事が終わらず夜中0時を過ぎ帰宅して、どうしようもなく、川辺で一人号泣、なんてこともありました。

そんな不慣れから、自然とその自分では”どうしようもない状況”が、食べること、そして食べて重たく動かなくなった身体をベッドで寝かせることで、気持をOFFにしていたのでしょう。

それからみるみるうちに私は太っていきました。

ということもあり、そんな当時の苦しい状態は自分の中でコンプレックスとなっていたのか、それからチューイングを自然と覚え、一定期間はしなくなったものの、何かあれば行為を繰り返していたと思います。

携帯電話が居なくなりました

 

携帯電話が離れていきました。どこかにいっちゃった。

少しだけ探したけれど、出て来ない。

instagramができなくなったり、LINEできなくなったり、写真を撮ったり眺めたり。

もう、頭の中すっきり落ち着かせよう。

ってことだと思い、なんか出てこなし、放置しています。

もうボロボロでバリバリだったもんね。

それでも酷使させてしまってごめんね。

でも楽しませてくれて、どうもありがとう。

ゆっくり、行きたい場所で休んでね。

shanti shanti shanti

mother’s day

 

明日は母の日。

わたしは母と離れて暮らしているので、当日に直接物を渡すことができません。

今回はじめてネット注文をしてみました。

カーネーションの花束です。

母は花が大好き。

自分で直接見て選んだ物を贈るということに慣れている自分にとっては、この方法を初めはうーん・・・と思いましたが、

”花束を受け取ってもらう” ということに重きがあることは自分で分かっていたので、迷いなく注文手続き。

でもやはり母の日前日となれば、応対が混雑していて、10分程待ってやーっと繋がり注文。

必要情報をお伝えしている最中に、担当者の方から「メッセージを30字以内でお願いします」

いつも手紙が多いわたしにとって、

手紙には書けるけど、間接的だとしても言葉でいうなんて、なんだかすこーーーしだけ恥ずかしくなった。そんな状況もおかしくって。

確認で復唱されるわたしの贈るメッセージ。(なんて素晴らしいメッセージなんだ。と自負してしまった。)

この方はなんて素敵な仕事をしているんだ。

とやり取りをしながら感じていました。

 

「ずっと大好きだよ。ありがとう。」

本当に大好きかと問われれば、身近な存在すぎてどうか分からないけれど、

母に伝える前にこの電話担当のお姉さんに伝えてしまったこの言葉を、

いつか直接母に伝えたくなる日はおとずれるのだろうか。

子宮委員長はるちゃんの夜

 

子宮委員長はるちゃんの本を借りて読んで眠りにつきました。

そうしたら、その思考が頭に残っていたらしく、

男性から、ものすごく大切に扱われる夢をみました。とっても心地よかったです。

私が食べるもの配慮から、座る場所の確保

「大丈夫?」「これでいい?」

格好はお姫様じゃなかったけれど、俗にいうお姫様扱いで、すんごく大切にしてくれてる感満載。

私自身は、「あれやってちょうだい」「これやってちょうだい」

の指示はしていなかったけれど、でもとてもここち良かったです。

 

本音と向き合う

 

今年に入って”エバー”というおまもりみたいな曲ができた。

たまたま地元に趣味で音楽しているお友達がいて、歌詞いい!って言ってくれて、曲をつけてくれることになった。

素人の「し」くらいの私たち。


(※私が出演した舞台に観に来てくれた時の。これしか2人で写ってるのがなかった。笑)

歌詞なんて10代の頃にかいていたもので、彼も誰かに提供したりとか、liveしたりとかそんなのはなかった。

きっと、ずーっと曲にしてみたかったんだと思うけれど、自分では手段がわからず、思い浮かんだ言葉や感情たちを、いわゆる歌詞のように「書く」ということを続けてた時期。

それからいくつか今まで書いていたものを見せて、彼が気に入ってくれたものを曲にする。という作業をここ数カ月していた。

そんなことをしてきたら、ずっと前から実現したい、って思っていたこと

「本当のしたい」こと、頭の中で想像していることに気づいた。

自分の純粋な思いに素直になったら、ポンって出てきたわたしの夢。

 

 

空間の広いステージに立ってliveをすること。

オーケストラをバッグに、私はステージの中央に立って、熱唱している。

声や演奏がその空間に響き渡って、ものすごい芸術的な空間が広がっている。

鮮烈で感動のlive

私は、1曲1曲に、自分の全てをさらけ出して、ただ表現している。

 

なんで私たちは何か行動を起こす時に「前提」をおいてしまうクセがついたんだろう。

ずいぶんと賢く大人になってしまったみたい。

でも、もう違う。

頭の中と目でのみ感じ取っていたものが、

聴覚もフルにつかい感じられるものとなり、より一体感をまして、

そんな過程を味わったら、

次は、ステージに立ちたくなったよ。

 

「いつか」なんて夢をごまかすような前提をおかず、

叶える。

って決めたんだ。

 

人に伝えること

 

もし自分が伝えた内容が相手に誤解を与えてしまったりしたとしても、

今までのわたしだったら、「ああ、どうしよう、、いややな」って思ってた。

特に顔をみあわせないで行うツール、SNSやメール。

だけど、伝えた言葉が何だったとしてもそのときは純度100%のわたしの状態で伝えたし、それだけが自分の中の事実。

それから、どう捉えられてしマッッ手も、それは相手の思考で巡らされて受ける捉え方だから、それは相手の事実に変わる。

だから、くよくよしない、ことに決めた。

 

赤ちゃんだいすき

 

わたしは、赤ちゃんが大好き。

いつから自分で実感したんだろう。

なんなら赤ちゃんになりたい。

人の子どもでも、胸がぎゅーーーって締め付けられるくらい愛おしくて、かわいいな〜って心から思う。

胸がキュンキュンがとまらない。

昨日はママヨガ教室のママ&ベビーたちとエスニック料理MAYAにランチにしに行きました。

 

 

あどけない表情、ほっぺのフワフワ、

おぼつかない走り方、無邪気な宇宙語、

急に泣き出したり、と思えばニヤっと笑ったり、

なんて自由で自分らしいのだろう。

世の中には犬好き、ネコ好き、熱帯魚好き、いろんなものを愛する人たちがいるけれど、

わたしはダントツ突抜けで赤ちゃんがだいすきだ。

 

ママヨガ教室は今月でおしまいになってしまったけれど、またレッスンができるようになったらいいな。